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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803

週刊がん もっといい日
2006年Vol.12
6月8日更新


6月2日更新内容 全記事はこちら

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.12☆☆☆

『週刊がん もっといい日』編集部では、前号でご案内いたしましたが、がん関連の書籍の紹介を兼ねた「図書室」を開設いたしました。がん関連の書籍は、毎日、どこかの出版社から発行されており、当図書室に収めただけでは十分ではありません。しかし、これからも機会あるごとに情報を収集して、皆さまにお届けしたいと考えております。また皆さまからの情報をお待ちいたします。自費出版なされた方、出版社を通じ、ご自分の著書を刊行されたおりは、『週刊がん もっといい日』編集部にお寄せください。
 今週は、編集部の都合で、木曜日更新とさせていただきますので、了承ください。
では、今週もみなさまにとって「もっといい日」でありますように・・・。


がん関連書籍を紹介した『もっといい日 図書室』を開設しました!
がんに関する書籍が、相次いで出版社から刊行されていますが、「うっかりして買い忘れた」「知人から聞いた」「確か新聞や雑誌で紹介されていた」等々、入手できなかったというケースは少なくありません。
 そこで『週刊がん もっといい日』編集部では、がん関連書籍の発行先、著者の連絡先がわかる、『もっといい日 図書室』を開設いたしました。
 リストには、書籍名、発行元(出版社名・連絡先)、著者(著者の専門部位・所属先・連絡先)を掲載しておりますが、ただし著者の所属先及び連絡先が変更になる場合もありますので、ご了承ください。今後、がん関連の書籍リストは、随時、追加していきます。
『もっといい日 図書室』の閲覧は、トップページ上部の「もっといい日 図書室」をクリックしてください。



治療最前線

閉経後乳がん治療に期待の新薬が国内供給認可
「切れ味鋭い」効果で治療レベルが大きく前進

乳がん治療における新しい治療薬の国内使用が開始された。ノバルティスファーマと中外製薬が供給を開始したアロマターゼ阻害剤『フェマーラ』がそれだ。すでに世界90か国で使用され、先進国では日本が最後の使用開始国となる。今後日本においては、患者の増加が見込まれる乳がん。そんななかで、とくに閉経後の乳がん治療において極めて大きな位置づけを占めると見られる薬であり、それだけに患者や医療関係者の注目は大きい。この薬の日本における臨床試験にも参加した、東京都立駒込病院の戸井雅和医師の解説のもと、『フェマーラ』に寄せられる期待と今後の乳がん治療を展望する。

早く効き、そして「切れ味」鋭い効果で
医師にとっても使いやすい薬

 まずは、『フェマーラ』の主たる対象となる「閉経後乳がん」の発症メカニズムを見ておこう。そもそも乳がんは、ホルモン依存性のがんで、エストロゲン(女性ホルモン)が乳がん細胞にあるエストロゲン受容体に結合することで増殖していく。閉経前の女性は、卵巣でエストロゲンが作られるが、閉経後は卵巣機能が低下するため、エストロゲンの生成機能も落ち込むことになる。

この面で見る限りは、乳がん発症のリスクも低下することになるのだが、一方で副腎からアンドロゲンという男性ホルモンが分泌され、これが脂肪組織などに作用することでアロマターゼが作り出され、これがエストロゲンを生成して乳がん細胞の増殖に関与することになる。つまり、閉経の前と後では、発症のメカニズムが異なることになるのだ。
『フェマーラ』は、アロマターゼの働きを阻害することで、アンドロゲンからエストロゲンが生成されることを防ぐ働きを持っていることから、主として閉経後の乳がん治療において効果を発揮することが見込まれるという。
「アロマターゼ阻害剤には、すでに日本で使われていたアリミデックス、アロマシンという薬があり、フェマーラを加えて“世界3剤”とされています。それぞれに優れた点があるのですが、使ってみた実感としては、フェマーラは速く効く。医師の側から見ると、“切れ味”がいい薬ということができます」

がん縮小効果も著しく
手術不可能から適応範囲へ

『フェマーラ』の使用対象としては、術後の再発を防ぐ「補助療法」において最もニーズが高まると見られている。これまでは、『タモキシフェン』というホルモン剤が使われてきたが、これは5年以上の使用における有用性が証明されておらず、実質的には『タモキシフェン』投与期間終了後の補助療法は存在しない状況だった。しかし『フェマーラ』は、『タモキシフェン』投与終了後においても、再発リスクを下げることが証明されており、これにより、乳がん患者を10年以上にわたって再発リスクから守ることも現実味を帯びてきたことになるのだ。
『フェマーラ』の利用範囲は、それだけにとどまらない。
「フェマーラは、手術不可能な患者への治療にも使われますが、これを使うことで手術の適応範囲内にまで、がんが縮小することもあります。個人差はありますが平均すると2〜3週間で、がんの縮小を確認できることが多い」と戸井医師。
 患者や医療関係者が、待ちわびていた理由がよくわかる。

乳がんは長期にわたり治療なので
自分の状態や変化を客観的に記録しておくことが大切


『フェマーラ』の臨床導入開始により、患者の状態や希望に応じて薬が使い分けられることになったわけで、乳がん治療の質が一段と向上したことになる。患者サイドとしても、こうした情報を積極的に集め、効果的な治療に向けて努力する姿勢が求められることになる。
 最後に戸井医師に、患者に持って欲しい「乳がん治療に対する心構え」を聞いた。
「長期間にわたる治療なので、自分の状態や変化を客観的に記録しておくことが大切です。とくにフェマーラを使った治療は、“女性ホルモンを止める”治療でもあるので、女性にとっては大変なこと。寝汗、ほてり、関節のこわばり、不眠、食欲不振、血圧の変化といった“ちょっと嫌な症状”をきちんと記録して報告してもらうことが大切です。場合によっては薬を止めることもありますが、多くは対症的な方法や漢方薬などの使用で対応が可能です」
 治療効果の高い薬が登場したことにより、これまで以上に、こうした長期的な取り組みの重要性が増すことになる。新薬の効果を最大限に享受するためには、日々の変化を見逃さないことが重要なのだ。
(取材協力:東京都立駒込病院外科部長(東京都文京区)戸井雅和医師)





連載

『Revital(蘇り)―生死をさまよい生還した
“平成の一休さん”闘病記』

第1回
 「がんとの闘いが始まった平成7年2月13日」


平成7年1月17日。阪神淡路大震災に始まり、オウム真理教のサリン事件という20世紀の歴史上に残る大事件の最中に、ある男性と、がんとの闘いが始まりました。想像を絶するほどの激痛や苦しみの連続に耐え、11年後の今日、“平成の一休さん”として活躍する大阪在住の西宮春雄さんは、死の淵から蘇った自らの闘病記を語り、たくさんの患者さんや家族の悩みに応える毎日です。さて西宮さんは、どのようにして命を甦らせたのでしょうか。しばし、西宮さんの闘病記に耳を傾けてください。

■プロローグ

平成7年2月13日、私の長い一日は、こうして始まりました。場所は、とある都内の病院。「医大にする」「国立にする」・・・いきなりでした、興奮した強い口調で、かかりつけの先生が、叫ぶように告げられたのです。
一瞬、何が起きたのか判らない不思議な時間が過ぎましたが、私は気を取り直して先生の手に目をやると、レントゲン写真を持つ手が小刻みに震えていました。
体調が異常であることは、自分が一番良く知っていましたが、努めて冷静になって先生に尋ねました。
「どうなっているのでしょうか」
「西宮さん、この写真を見てごらん、素人でも判るくらいハッキリと写っているでしょ、君の食道内は、何か判らないが一部の隙間を除けば、ほとんど詰まっている。多分、腫瘍だろう、すぐに紹介状を書くから、医大か国立の病院のいずれかを、自分で選んで決めてほしい」
私は、東京慈恵会医科大学病院を選択しました。翌日、慈恵医大外科外来で診察を受けた際に、レントゲン写真を見た先生の表情が険しくなったことを記憶しています。
「身体の状態はどうですか」
「水を飲んだだけで呼吸困難を起こします」
「すぐに入院してください。このままの状態では危険です」
すでに入院の支度をしてきていましたし、多分こうなることは覚悟していたので、比較的冷静な気持ちで、私は7E病棟に入院しました。
「なぜ、こうなったか、何か心当たりはありますか」
「酒もタバコも吸わないし、とくにないんですが・・・」

■10年前、劇物が混入されていた栄養ドリンクを飲み

食道が真っ黒焦げになった・・・
しかし私には、一つ心当たりがありました。今から10年ほど前に、勤務先の冷蔵庫に入れていた栄養ドリンクを一口飲み込んだ瞬間、1〜2分位で意識がなくなり、気がついたときは、救急救命センターのベッドの上にいました。
栄養ドリンクに混入していた劇物の正体が判らないので、警視庁の鑑識係が駆けつけて調べた結果、「硫酸化銅の希釈液」と判明、即座に高圧水洗浄で私の胃のなかを洗浄したそうです。
洗浄後、内視鏡で食道と胃部を覗いていた先生が、「凄い、真っ黒焦げ」になっていると呟きました。でも入院期間中は、とくに何事もなく1か月ほど入院した後、退院できました。帰り際に、先生が、「1か月に1回でいいから診察にきなさい」と言われましたが、その後の回復は順調でしたので、2度と救急車で運ばれた病院に足を向けることはありませんでした。
「それが原因でしょう。劇物を飲み込むと、10年〜30年後に、このような症状が必ず起きるんです。西宮さんの場合は、意外と早く発症したとかしか言いようがありませんね」
私は、その話をうかがって深く後悔しました。油断・怠け心・過信・自惚れしていた自分が恥ずかしくなりました。
「あの時、月1回通院していれば、こんな結果にはならなかったろうに。よし、今度は先生を信じ、看護婦さんを信じ、そして自分を信じ三位一体となって病気と闘おう」
そう自分に言い聞かせたのです。

■医師から「余命なし」の宣告を受ける

手術日が決まりました、1か月後の3月14日。数日後、「西宮さんは、私たちナース一同にとって希望の星です」と言われ、何やら前途多難であることを示唆された気分になりました。
「先生の説明をうかがった限り、手術は大変そうですが、何が大変なのかもう少し具体的に説明していただききたい」
申し入れたのです。
「ここ一番といった山場、踏ん張りどころみたいな場面が起こりますか」
「有りますよ、多分4〜5回位の場面がありますが、避けては通れないのは確実です。
ですから、心の準備だけは今からしておかれた方が良いと思います。ただ、病棟内でのご様子を拝見している限り心配ない。西宮さんなら、きっとこれから迎えようとしている難関を突破してくれそうだという期待感が持てました」
「山場と言われても、正直言ってピンときませんが、私流に解釈すれば“修羅場を迎える”と言う風に受け止めた方が判り易いけど、そういうことでいいですか」
「その通りです。修羅場と捉えてください。そのほうが、その場になって慌てなくてすむと思いますから…」
「じゃ、退院後はどうなるのですか」
「人にもよりけりですが、間違いなく数え切れないほどの困難・苦難が待ち受けているのは確かです。具体的には、どんな症状が発病するかは不明ですが、“術前・術後”の体調は大きく異変するでしょう。術後障害と言いますが、トラブルの発症は、どんな場面で起きるか判りません、ただ、“術前・術後”いずれも大変なんだぞという覚悟はしておいてください」
私は、内心、「やった」と思いました、これだけ事前に情報を収集した分を、今からしっかりと大脳にインプットしておけば、心にパニックが起きたときも、負担は半減できるのではないか、と。

■8時間に及ぶ手術後、七転八倒の苦しみを味あう羽目に・・・

手術日の朝を迎えました、7時頃、血圧を測定したら平常値。10分ほどして、また血圧測定に来た看護師が、「やはり同じだわ」と呟いたのです、
「どうしたの」
「ほとんどの人が、手術前は動揺して血圧は上昇するものですから再度確かめて見たんです」
手術は、朝8時から始まり夕方4時頃に終わったそうです。意識が戻ったのは、2日後。集中治療室の私の側には、主治医が付き添ってくれていました。にっこり笑って、「大丈夫!」と声が聞こえました。
麻酔が効いていて、まだ頭はぼっとしてはいましたが、生きていることは確かでした。この日を境に、約1か月間、七転八倒の苦しみを味あう羽目になるのですが、意識が少しずつハッキリするにつれて、段々と痛みが感じられるようになり、「さあ!いよいよ“戦闘開始”だと自分に言聞かせました。
「痛くなるぞ」「苦しくなるぞ」と心に言い聞かせ、そのメッセージ(信号)を大脳に送り続けたのですが、意識がハッキリしたとたんに、「身体中が痛い」「吐き気」「下痢」「38度台の高熱」「呼吸困難」「頭痛」「めまい」「身動きできない状態が続く」等々、ありとあらゆる苦しみが一度にドッとやってきました。
看護師さんは、その度に走り回り、先生は症状に合わせ薬を投与するが余り効果がない」そこで、とっかえひっかえ薬を投与し続けましたが、1週間、2週間過ぎても目立つ効果はありませんでした。(西宮春雄)
“平成の一休さん”のE-mail :ikkyuu@sky.biglobe.ne.jp
“平成の一休さん”のホームページ:http://www.ikkyuu.net/
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