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月刊がん もっといい日Web版

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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803


週刊がん もっといい日
2006年Vol.21
8月11日更新


8月4日更新内容 全記事はこちら
女子砲丸投げ日本記録保持者の森 千夏さん(26歳)が亡くなりました

アテネオリンピックに出場した、女子砲丸投げ日本記録保持者の森 千夏さん(東京高校クラブ)が、9日午前10時36分、虫垂がんのために亡くなりました。享年26歳。
森 千夏さんは、平成5年に症例の少ない虫垂がんと診断されましたが、6年後のロンドンオリンピック出場をめざし、がんと闘ってきました。森選手を応援するために開設されたホームページで、自宅療養中の森選手が闘病日記を公開していましたが、5月21日に再び入院。8月5日に容体が急変、7日にこん睡状態となり9日、26歳の人生に幕を下ろしました。
ロンドンオリンピックへの出場を合言葉に、頑張ってきた森選手。『週刊がん もっといい日』編集部でも、森選手を支援してきましたが、あまりにも早い死に言葉もありません。森 千夏さんのご冥福をお祈りします。

合掌

(『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道)

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.21☆☆☆



プロフィール
かわたけ・ふみお
1946年、徳島県生まれ。69年、受信料集金の臨時要員としてNHK入局。90年、右腎臓ガン発病。92年、教育スペシャル『人間はなぜ治る』三本シリーズ製作、『幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録』を上梓。97年、NHKを退職し、妻と二人でガンの患者学研究所を設立。現在に至る。現在、無料配布誌『あなたが治るために』を全国のがん患者128万人に行き渡るよう、128万部配布中。
ここにこの人



がんを乗り越えたからこそ伝えられる――。 

「生活習慣を改め、
心の持ち方を変えることで
がんは克服できるのです」



NPO法人ガンの患者学研究所代表
川竹文夫さん

この秋、がん患者さんのためのボランティア団体が企画する『第1回世界一元気 ガンの患者学ワールド』が、東京、大阪、名古屋の地で開催されます。このイベントは、免疫学の研究で知られる安保徹先生はじめ5名の講師陣を迎え、がんを患う方やそのご家族に対し、病気の理解を深め治癒へのヒントを示唆することを目的としています。さらに、がんを克服し元気に暮らす複数の元患者さんをゲストに、参加者と治る歓びを分かち合うという新しい試みにも挑戦します。主催は、全国に2000名のがん患者が登録する患者会「ウェラー・ザン・ウェル」を持つ、NPO法人ガンの患者学研究所。その代表を務めるのが、かつて右腎臓がんと診断された川竹文夫さんです。がんを克服した経験を持つ川竹さんのこれまでの歩みとともに、秋に開催されるシンポジウムを前に、改めてがん医療についてお聞きしました。

がんと宣告された瞬間
培ってきた自分への自信が総崩れに

川竹さんが右腎臓がんと診断されたのは、17年前、44歳のときです。NHKの職員として精力的に仕事をこなし、とりたてて体調不良の自覚もなかった川竹さんにとって、まさに寝耳に水の出来事でした。そして、川竹さんの内面に大きな揺さぶりをかけたのです。

「手際よく仕事をしてきた自分は、会社でも一目置かれているという自負がありました。ところが、どんなに仕事ができようと、がんと宣告されたとたんに、頼りになるのは医師だけになってしまう。自分の命を医師に預けるしかない無力感、自分の運命を自分で救うことができない情けなさで、これまでの自信が見事に崩れ去ってしまったのです…」

“まな板の上の鯉”状態になった川竹さんは、医師に言われるがまま腎臓を摘出。術後はインターフェロンによる治療を余儀なくされました。しかし、自分なりにもっとがんのことが知りたいと、川竹さんは病院を抜け出し本屋へと向かいます。

「たまたま行った本屋で、“インターフェロンは効かない”ということを論理的に解説した文章に出会いました。確かに自分の実感としても、インターフェロンを続けたところで辛いばかりで、とても治るとは思えなかった。これがきっかけで、当初2年間のインターフェロン治療が必要と言われていたのに、10日間で見限って退院してしまったのです」

 自主的に退院した後は、国立がんセンターで検査だけは受けたものの、療養の場は完全に自宅へ。そこで川竹さんが徹底してこだわったのが、生活習慣の改善でした。

 まず食事は、玄米・菜食を徹底し、油ものや砂糖類はいっさい口にしないよう心がけ、2週間目。食事を切り替えただけで、体調に変化が現れました。

「見事に快食、快眠、快便になり、体調が良くなったせいか、気づけば通勤途中に鼻唄まででるようになって(笑)。嬉しくてさらに体に良いことがしたくなって、定期的な運動、早寝、瞑想といった、誰でもできるようなことを日常に取り入れました。すると、免疫力が上がったからでしょう、体調がすこぶる良くなったんです」

それからというもの川竹さんは、「少し体調が悪いかな?」と感じるときも、生活習慣を見直すことで、うまく体調をコントロールすることができるようになったのです。

「おかげで、今まで再発もなく元気に過ごしています。がんを克服するには、生活習慣という基本的な部分を見直すことが、どれほど大切かを痛感しました」

そして何よりも、医師にすべて頼るのではなく、“自分の命は自分の力で救える”ということが身をもって分かり、生きる自信を取り戻すことができたことこそ、川竹さんにとって大きな収穫でした。

がん患者さんと治った方が集う
「千百人集会」を決行して・・・


 がんを患ってから、「がんになった人は、がんから生還した人、しかも自分より悪い状態から生還した人に会いたいはず」と、川竹さんは実感します。

この思いから、川竹さんは在職中、末期患者さんたちが、心の転換によって生還し新しい人生を謳歌するドキュメント『人間はなぜ治るのか』(教育テレビ)3本シリーズを製作しました。

このシリーズは、教育テレビ始まって以来の大反響を呼び、さらにドキュメントに追加取材を重ね、川竹さんは『幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録』を創元社より出版。以来、川竹さんのもとには、がんの患者さんや家族から問い合わせが殺到するように・・・。  

川竹さんは、仕事を続けるかたわら、患者さんからの問い合わせに対してし「自分がどのようにがんを克服したか」を一人ひとりに伝えてきましたが、そのうち両立が難しくなり、意を決した川竹さんはNHKを退職。奥さまとともに「ガンの患者学研究所」を設立します。年間60回ペースで講演会を行い、「生活習慣を改め心の持ち方を変えれば、がんは十分に治る病気である」と、自らの経験と主張を伝え続けています。

現在、同研究所が抱える患者会「ウェラー・ザン・ウェル」は、2000人を超えるほどに発展しています。さらに3年前には、闘病中の患者さん1000人と、治った方100人が一堂に会する画期的な「千百人集会」を開催。患者さんが前向きに生きていくための意義深い集いとなりました。

そして今秋、同研究会は「ウェラー・ザン・ウェル学会」の立ち上げを計画しており、そのお披露目をかねた「世界一元気ガンの患者学ワールド」を、東京、大阪、名古屋で開催します。

「治る」という一言こそが
がん患者さんの大きな希望に

「ウェラー・ザン・ウェル(Weller than well)」とは、“人はがんになる以前よりもはるかに、心身ともに健康で幸せな人生を送ることができる”という意味です。それは、抗がん剤や放射線治療といった医師任せの医療ではなく、食事療法やストレスコントロールなどの自助努力の積み重ねが必要であり、その結果、明るさと自信を取り戻すことで初めて可能になるのです。その方法論を広くお伝えできれば・・・」

「世界一元気ガンの患者学ワールド」の講師は、川竹さんをはじめ、安保徹先生、元カネボウ(株)取締役の近藤町子さん、日本笑い学会副会長の昇幹夫氏など計6名。うち、3名が元がん患者さんで、今も元気に活躍されている方たちです。

また同研究会では、「治ったバンク」を、その日から本格的に始動させます。これは、「千百人集会」と同様、がんを克服した“治ったさん”を、これから“治したい人”に引き合わせることで、体験や心の持ち方のアドバイスをするユニークな試みです。

「がん患者さんは、治るという一言を、治った方から言ってもらえることで、大きな希望が湧くんです」

自らの経験から、川竹さんはこう確信しています。現在、登録されている“治ったさん”は60名ほどだそうですが、5年後には2000名を目指したいと意気込みます。

 10月の一大イベント開催に向け、あわただしくも充実した日々を過ごす川竹さん。その一方で、精力的に講演を重ね、抗がん剤をはじめ、心身ともに疲弊する現在のがん医療に疑問を投げかけ、生活習慣の改善と心の持ち方こそ大切と主張し続けます。そんな川竹さんの姿勢に、今の日本のがん医療に一石を投じたいという信念が強く伝わってきます。

■NPO法人ガンの患者学研究所■
〒227-0033 横浜市青葉区鴨志田町569-1-17-105
電話;045-962-7466 
ファクス;045-962-2116
ホームページ;http://www.naotta.net/




連載

『Revital(蘇り)―生死をさまよい生還した
“平成の一休さん”闘病記』

第10回『苦しみながら楽しむ・・・
病と向き合うときの心がけ』

■「あっつ、声がでない」突然の失語に戸惑うばかり・・・

術後の障害。患者さんは、退院後どのような術後障害が起こるかはわかりません。がんであれば、「いつ再発するか」「転移は?」な日々を過ごすことになりますが、私の場合、想定外も想定外。声がでなくなったのです。突然の異変に動揺するばかり。このまま一生、声がでなくなるのか、とても不安でした。

 平成7年5月13日。退院してから私の声は、とても弱わ弱わしかったのですが、「このような症状は術後だから当然のこと」と思っていました。

しかし平成7年の暮れあたりから、電話口にでたとき、私はかすれ声で、自分の話は相手に伝わりませんでした。何度も何度も、自分の意思を伝えようとするのですが、相手は聞き辛いのか毎回聞き返してくる始末です。

「何か変だな」と思いつつ、自宅でお経を読もうと声をだすのですが、なかなか思うように声がでません。「おかしい」自分自身、おかしいと思いながらも、「もう少し様子を見よう」と自分に言い聞かせました。    

ところが平成8年に入ったら、いよいよ声がでません。1月末、主治医の食道関係のH助教授にその旨を伝えました。H助教授の見解は、「耳鼻咽喉科で診てもらった方がいい」とのことでした。

H助教授のお話では、東京慈恵会医科大学病院耳鼻咽喉科の声帯手術の名医とのことでした。幸い、耳鼻咽喉科のH先生と親交の深いH助教授が、内線で症状を説明されたところ、「すぐ来なさい」との返事をいただきましたので、翌日、さっそく耳鼻咽喉科のH先生を訪ねました。

 H先生が、助手のY先生(ほやほやの研修医)を伴って、私を診察されました。
「声帯が歪曲していて声帯がピンと張っていない。このため声をだすと,すっと声が抜ける」との診察結果がでました。
「先生、治す方法はあるのでしょうか」
「できますよ」

但し保険適応外手術なため、全額自己負担ということでしたが、私はむろん声を取り戻したい一念で手術の説明を受けました。手術は1か月に1回、合計3回に分けて行うもので、事前に用意するもの(食道動脈瘤手術の際に用いる長さ30cmの針)を病院の売店で購入しました。

この手術を行うには、気がかりな点がありました。それは、声帯が気管支の入り口にあるために、呼吸困難になるリスクが当然ながら伴うことでしたが、そのリスクを、耳鼻咽喉科のH先生が、独自の手法で克服しているから心配ないとのことでした。


■3回にわたり東京慈恵会医科大学病院耳鼻咽喉科で声帯手術

<第1回目:平成8年2月6日>
真っ先にモニターに、歪曲になっている声帯が映しだされました。「なるほど、これでは声はでない」と思いました。

手術に用いる機器は、食道動脈瘤の針とファバースコープ、モニター画面で、注入する薬剤は、事前声帯麻酔、コラーゲン。声帯3か所を3回に分けて行うということで、準備はファイバースコープの先端に、食道動脈瘤針と麻酔注入器、吸引機」をセットし、いよいよ開始です。私の意識はありますので、緊張感は当然あるものの、今さら逃げるわけにゆきません。手術のシーンを再現しましょう。

(1)モニター画面に注目する。
(2)声帯が映し出される」⇒声帯に麻酔をかける場合、麻酔液が気管支に入らないよう慎重に且つ的確に吸引する。少しでも気管支に麻酔液が入ると、呼吸困難となる。
(3)だが目標の場所に、的確に針の先端が定まらない。手探り状態が続く脂汗がでるが仕方ない。
(4)頃合いを見計らって、食道動脈瘤の針を⇒声帯の真中に刺す⇒コラーゲンを注入作業。
(5)「あれ〜なかなか目標箇所に定まない」と先生が嘆くたびに、肝を冷やし、祈る気持ちが続く。
(6)麻酔液をジャバジャバ声帯にかけるので、とにかく呼吸が苦しい。必死にY助手が吸引する。
(7)「終わった」と、先生が告げる。モニター画面で成果の後を確認する。
(8)コラーゲンを注入した声帯部分は腫れていた。腫れが収まり安定するのに1か月かかるという。

「術後は、最低1時間は声をだしてはいけない。声を出すとコラーゲンが抜けますよ」と指導を受けました。次回は1か月後と決まりました。

<第2回目:平成8年3月12日>
助手のY先生は、「大丈夫?」と私に声をかけていただきましたが、「先生、大丈夫じゃないですよ」と笑いながら答えたことを覚えています。今度の的は、「声帯の右側」へコラーゲンを注入し、手術は成功しました。

<第3回目:平成8年4月16日>
今回が最後で、今度の的は「声帯の左側」へのコラーゲンの注入。無事終了しました。術後、H先生からの指導ですが、発声練習は「お経なら最高」と言われ、お経を詠むことで、声が少しずつ戻り始めました。

発声練習期間中は、声がでませんので買物や交通機関などを利用するときは、「声がでません」という小さな札をつくって、利用するたびに、その札を提示しました。

 買物するときも、バスに乗るときも、病院へ行くときも、あらゆる機会を通して「声がでない」の札を見せると、誰もが親切に対応してくれました。
「東京は、頑張っている人には優しい街だな〜」とつくづく感じた次第です。
「この恩返しは、必ず社会復帰することだ」と思い頑張ってきました。

 発声練習を始めて1年半過ぎた平成9年6月のこと。私が出家得度する頃には、すっかり声がでるようになっていました。私の師匠、小西和尚も、私の声がでなくなったときは、肝を冷やしたそうです。

以来、日々、「2時間のお経詠み」練習(腹式発声)で、声は戻りつつありましたが、ただ残念なことは、好きなカラオケでは、高音がでなかったことです。でもこれは、贅沢な悩みというべきでしょう。


■テレビ出演依頼が出始めて

社会復帰の手がかりを得る
そうこうするうちに、私は会社勤めの合い間をぬってテレビに出演するようになり、時には撮影は深夜、徹夜は再三でした。

平成15年度になると、テレビ・映画・CMなどに10数件出演。CMでは、ボブサップ、ボビーオロヨン、久本雅美、モーニング娘、水前寺清子等々。新旧のタレントさんと出会いました。

そして平成16年度からは、本格的にテレビなどへの出演を開始しました。ちなみに平成16・17年度に出演した代表的な作品は次の通りです。

◆平成16年1月12日放映(テレビ朝日):内村プロデュース『他人の性格王決定戦』主演:内村良光、私、西宮春雄は床屋のお客役(初のバライティー)
私が出演したのは、床屋に入るところから椅子に座り面白可笑しいカットをして笑いを取るシーン。放映当日、最初から最後までUP・UPの連続で、自宅の電話が鳴りだしました。「見たよ」「見たわよ」「何で連絡してくれないのよ〜」と仲良しの歌手」からお叱り受けました。

私は、そんなにUP・UPの連続で放映されるとは期待していませんでしたからビックリ。きっと台本より面白かったので、編集段階で採用されたのではないいでしょうか。
ただときには、自分の出演シーンが、まるっきりカットされることもあるから、「自分が出演するから見て・・・」と事前の放映連絡はできません。

◆平成17年1月13日放映(日本テレビ):火曜サスペンス劇場『検事、霞夕子、殺意の薔薇』主演:床島佳子、そして住職役は私、西宮春雄。猪崎監督からの指名でした。

◆平成17年10月15日放映(テレビ朝日)土曜ワイド劇場『盗聴撃退完全マニュアル調査報告書』主演:余貴美子、そして住職役は私、西宮春雄」。これも猪崎監督の指名でした。
私が、『サスペンス劇場』などの作品に登用される経緯は、次のような理由からです。

(1)テレビのサスペンスものは、そのほとんどが「映画監督」が故に「本物志向」が条件なのです。私が指名されたのは、織田無道という現役和尚がタレントながら、「詐欺で逮捕」されたのがキッカケでした。現役の僧侶の恥ずかしい事件でしたから、私が出演することによって、仏教界の名誉を回復を図ることができれば・・・というのが私の本心でした。

(2)作品の場面は、葬式、通夜、告別式、法要など、お経の詠み方や速さも違いますし、抑揚つける読み方もあれば平詠みもあります。しかも宗派も違い、地域も違う、仏教の時代考証、仏教の所作だけでなく、局への放映後に殺到するクレーム処理対策と指導に私が適任だったからです。

結局、監督やスタッフから、「この場面のカメラの位置はどうか」などとNGがでるたびに、出演者は正座を繰り返すことになりますので、「足がしびれた」「足のしびれ解消法は?」といった相談を受けて喜ばれましたが、お陰で私は、「仕事は増加」したものの、「体力は消耗」する結果となったのです。

体力消耗戦の芸能界。そうなのです。芸能界は、それこそ体力が勝負です。朝早くから深夜にまで撮影が続きます。体力がなければ、俳優業やタレント業はつとまりません。「ほどほどにしないと命取りになる」と、この頃から考え始めました。
私、西宮春雄が出演したリストは、「YAHOO!JAPAN」=「西宮春雄」と「検索」すると、上記「サスペンス出演者リスト」がでますので、ご参照ください。(西宮春雄記)



"平成の一休さん"のE-mail :ikkyuu@sky.biglobe.ne.jp
"平成の一休さん"のホームページ:http://www.ikkyuu.net/

※一休さんのメールアドレスが変わりました!
nishimiya@ikkyuu.net → ikkyuu@sky.biglobe.ne.jp
以前のメールアドレスは使えませんので上記のメールアドレスを御使用下さい。
なお、ホームページアドレスに変更はございませんが、現在メンテナンス中のため
ページが表示されません。約1ヵ月後に復旧作業が完了いたします。もうしばらく
お待ち下さい。(06年8月7日現在)

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