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月刊がん もっといい日Web版

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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803


週刊がん もっといい日
2007年Vol.64
6月22日更新


Vol.64号の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ

@治療最前線
がんになる前、あるいは治療に入る前の比較的状態のいい免疫細胞を、あらかじめ
採取・保存し万一に備える「免疫細胞バンク」、早ければ今秋に実用化へ
取材協力:表参道吉田病院(熊本市)ヨシダクリニック・東京(東京・中央区)
吉田憲史総院長


Aここにこの人
「病気という闇のなかに一度迷いこんだからこそ、人生がより豊かに、光り輝いて見えるのです」
竹井発達心理研究所所長 竹井和子さん


Bがん患者さんからの投稿エッセイ
『さっちゃんのがん物語』
「がんは人生の軌道修正の切り札、チャンスなのだから・・・」
───佐藤幸代
第3回目 『ステージVの食道がん〜治療まで
(手術か・放射線か?代替医療か?)』
その2 上京〜千葉県柏の国立がんセンター東病院へ


Cがん患者さんのための『免疫とがん』講座
音楽療法<その3>音楽療法を効果的に行うためのポイント
取材協力埼玉医科大学保健医療学部健康医療科学科・学科長
和合治久教授

07年6月15日更新内容 全記事はこちら

安倍総理の東大病院放射線治療部門視察と
「がん対策基本法」成立に奔走した国会議員のこと



東大病院視察で中川恵一放射線科准教授から説明を受ける安倍総理

国会の超党派議員による全会一致で、昨年6月に国会を通過し、今年4月から施行された『がん対策基本法』。具体的な計画を立案し、がん医療を進めるための検討会が、これまで幾度となく開催されてきましたが、6月15日早朝の閣議で、がんの死亡率の減少や、すべての拠点病院で放射線療法や外来化学療法が実施できる体制の整備などを盛り込んだ『がん対策推進基本計画』が了承されたことは、すでに紹介しました。
この日、安倍総理は、閣議後、東京・文京区内の東大病院放射線治療部門を視察、東大病院中川恵一放射線科准教授から施設の説明を受け、「がん診療医全員が5年以内に緩和 ケアの研修を受ける体制をとる」等々、『がん対策推進基本計画』について明らかにしました。
ところで『がん対策基本法』ですが、実は一昨年6月、一つのプロジェクトチームが結成されました。公明党議員による「がん対策プロジェクト」です。がん診療拠点病院の不足、再発後のこと、心身ともに苦痛に見舞われるがん患者さんとその家族のケア等々、さまざまな課題の解決に立ち上がったのです。
そこで『週刊がん もっといい日』編集部では、がん対策に積極的に取り組んできたプロジェクトチームのメンバーで、医師でもある渡辺孝男参議院議員(医学博士)にお会いする機会があり、がん対策のこれからについてお聞きしました。
「がんにならないように予防することはもちろん、がんになった後、再発・転移しないようにするにはどうしたらいいかー国をあげてと取り組まなければならない」と語り、がんに対する三大療法(手術、化学、放射線)とともに、温熱療法や笑い療法、森林浴、サプリメント等々、免疫を上げるための工夫が大切になると指摘されました。渡辺議員へのインタビュー記事は、次号(6月29日号)で。
 さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」ありますように・・・。


『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.64☆☆☆


吉田憲史総院長

【プロフィール】
1939年熊本生まれ。九州大学医学部、熊本大学大学院卒業。医学博士。長年にわたり、がんの転移の抑制メカニズムの研究とその免疫学的治療に取り組んできた。医療法人起生会理事長として、熊本の表参道吉田病院と東京にある系列のヨシダクリニック・東京を運営。熊本看護専門学校副理事長などの要職を兼務している。
治療最前線

がんになる前、あるいは治療に入る前の
比較的状態のいい免疫細胞を、あらかじめ
採取・保存し万一に備える「免疫細胞バンク」、
早ければ今秋に実用化へ

取材協力:表参道吉田病院(熊本市)
ヨシダクリニック・東京(東京・中央区)
吉田憲史総院長


手術、抗がん剤治療、放射線治療に続く「第4のがん治療」として注目を集める活性化自己リンパ球がん免疫治療。患者本人の血液から取りだした免疫細胞を化学的に培養して、飛躍的な数に増えた自身の細胞を再注入することで、がんの征圧を目指す治療法だが、現在、その先を行く治療システムの構築が進んでいる。「免疫細胞バンク」と呼ばれる方法だ。がんになる前、あるいは治療に入る前の、比較的状態のいい免疫細胞をあらかじめ採取・保存しておき、万一の際に備える――というものだ。健康なうちから将来に備えて元気な細胞を保存しておく、いわば「生命(いのち)の貯金箱」とも言える、このシステム。早ければこの秋にも実用化の予定という。その準備に忙しい、表参道吉田病院とヨシダクリニック・東京総院長の吉田憲史医師に話を聞いた。

患者から取りだしたリンパ球の培養液や
培養システム設計の“旗振り役”として・・・


 まずは、免疫細胞バンクのベースとなる「活性化リンパ球がん免疫治療」とは、いったいどのような治療法か、おさらいの意味で紹介しよう。
 がん患者の血液から免疫細胞であるリンパ球を採取し、これを培養して増殖・活性化させてから再度患者の体内に戻すことで、患者自身が本来持っている免疫力を高め、がんに対する攻撃力を強めていくのが、そのメカニズムだ。
 今回、取材した吉田憲史医師は、日本における活性化リンパ球がん免疫の草分け的存在。熊本の本院には独自のラボを持ち、東京のサテライトクリニックで多くのがん患者の治療にあたってきた。
表参道吉田病院
 最近では、この治療法を導入する医療機関も増えてきたが、吉田医師は、自身が臨床医でありながら免疫学の研究者としての顔も併せ持つことから、治療実用化のあとも積極的に研究を進めてきた。とくに、患者から取りだしたリンパ球の培養液や培養システムの設計には、自らが“旗振り役”となって参加し、「吉田式」といわれる免疫治療の仕組みを構築したことで、国際的に知られる。


約4年間でこの治療を受けた324人の患者の4割が
「がんの進行のコントロール」に成功

 吉田医師らは、約4年間でこの治療を受けた324人の患者のデータを解析したところ、「がんの進行が止まった」、あるいは「転移を抑えた」という、がんの進行のコントロールに成功している例は全体の42%に及んだ。
現在、同院でこの治療を受けている患者のほとんどが、手術や抗がん剤などの、従来のがん治療の道を閉ざされた進行がんの患者ばかりであることを考えれば、この数字が驚くべき数字であることが理解できよう。
「一定量の血液を採取して、これを分離してリンパ球などの免疫細胞だけを取りだします。これを2週間かけて培養することで、採取したときは千万個程度だったリンパ球が20−30億個まで増殖する。さらに一つひとつの細胞も、採取したときよりも活性化、つまり元気になっており、2週間後にこれを患者の体内に戻すことで、患者自身のがんに対する攻撃力を高めることができるのです」(吉田医師)
 患者本人の免疫細胞を使うだけなので副作用もなく、まったく苦痛の無い「第四のがん治療」として注目を集めているのは、周知のとおりだ。


■有事の際に役立てるため元気なうちに元気な細胞を貯金しておく

 そんな吉田医師が現在、実用化に向けて取り組んでいるのが「免疫細胞バンク」なのだ。その概要を、吉田医師に解説してもらう。
「人間の免疫力が最も強いのは、10代後半から20歳台まで。あとは加齢とともに、免疫機能は低下していきます。その結果、“がん年齢”といわれる50−60歳台となると、かなり低下しているのが実情です。それならば、少しでも若い元気なうちに自分の免疫細胞を取り出して保存しておき、将来もし免疫治療が必要になったときは、この元気な免疫細胞を使うことで、より効果的な治療を目指そうというのが免疫細胞バンクの考え方です」
 免疫治療単独のケースはもちろんだが、抗がん剤治療や放射線治療との併用をする場合、それだけで白血球の減少を招くなど免疫機能の低下は免れない。元気なうちに、これらの細胞を“貯金”しておくことは、のちの有事の際には、何倍もの大きな威力となって役立つことにもなるのだ。



治療成果の向上だけでなく加齢による老化現象や
病気の発生を積極的に防ぐことも・・・

 吉田医師が現在、開発を進めている免疫細胞バンクは、患者から採取・分離した免疫細胞を超低温フリーザーでマイナス152〜マイナス196度で凍結し、5年単位の長期間保存を行うというもの。これにより、本当に「将来のため」に保存しておくだけでなく、抗がん剤治療を受ける前に採取だけをしておいて、抗がん剤の影響で免疫力が落ちた時に備える――という短期的な保存も可能となる。
 また視点を変えれば、がん治療以外、とくにアンチエイジング(抗老化)の分野でも、このシステムの応用は可能だ。若いうちの元気な細胞を保存することで、将来の加齢による老化現象や病気の発生を積極的に防ぐという、まさに夢のような治療法が、実現まであと一歩の段階に来ているのだ。
「医療機器の進化により、従来はリンパ球を取り出したあとの血液は捨てるしかなかったのですが、今ではそれも無駄にすることなく、患者の体内に戻すことができるようになりました。すべてを無駄なく、効率的に進めることで、治療成果の向上だけでなく、患者のQOLも高めることが可能となります。進化したがん免疫治療の一つの形として、このシステムの果たす役割は大きいはず」と吉田医師の期待も大きい。
 表参道吉田病院とヨシダクリニック・東京では、この免疫細胞バンクについて、今年秋の実用化をめざして現在最終的な確認作業に当たっている。



竹井和子さん

【プロフィール】
東京都出身。ワシントン大学大学院修士課程修了。竹井発達心理研究所所長。発達臨床家として、子育て支援および家族へのカウンセリングなどを行う。今年4月、自身の乳がん体験を綴った『この夏――乳がんとのおつきあい』を文芸社より刊行。
ここにこの人

「病気という闇のなかに一度
迷いこんだからこそ、
人生がより豊かに、
光り輝いて見えるのです」

竹井発達心理研究所所長
竹井和子さん

竹井和子さんの“乳がんとのおつきあい”が始まったのは、2006年5月のこと。何気なく触れた右胸にしこりを感じたことが、きっかけでした。発達臨床家として障害をもつ子どもや家族、社会適応に困難を抱える人たち、そして、がんや難病を抱える人たちのカウンセリングを行ってきた竹井さんにとって、まさか自身が、がん患者となり病と向き合うことになろうとは、予想だにしていませんでした。しかし病いを受け止め、手術を乗り越えた今、竹井さんは、病気になったことで初めて得られたもの、気づいたことがあると断言します。
実際に自分の目で確かめ
入院先を選択

「病いを得るとしても、がんとは別の何か・・・そんなふうに、漠然と思っていました。まさしく他人事だったのです」
ところが、木々の緑が鮮やかさを増してきた昨年の5月、しこりを発見。急いで近くのクリニックで検査を受けたところ、悪性と診断されました。がん家系でもなく、普段から健康には人一倍気を遣ってきた竹井さんにとって、乳がんの宣告は、まさに晴天の霹靂でした。
悪性と診断されても、体調不良があるわけでも痛みがあるわけでもなく、にわかには信じられない気持ちでしたが、診断結果を否定するわけにはいきません。すぐに、がん専門病院として有名なA病院とB病院に宛てて紹介状を書いてもらいました。あらかじめ、ネットで探しておいたのです。その両方に、実際に出向いた結果、A病院にお願いすることに決めました。
「どちらも甲乙つけがたかったのですが、A病院ではスタッフの方たちの優しい心遣いが伝わってきました。私が病院に求めたことは、適切な治療と、病気の不安を抱えた心を癒してくれる居心地の良さでした」。
もっとも、10人いれば10人それぞれ、居心地の良さの基準は違います。
「私にとってはA病院でしたが、別の人にとってはB病院のほうが・・・ということもあるでしょう。肝心なのは、自分にとってどうかということだと思います」


否定できない現実に
落ち込むよりも正面から向きあう

 こうして入院先も決まりほっとしたのも束の間、A病院での検査の結果、右のみならず左乳房にも疑わしい石灰化が発見されました。そんななか、「もし、右も左もとなれば、両方いっぺんにするほうがいいでしょう」。手術日の決定にあたって、主治医は竹井さんにこう伝えます。
女性にとって、両方の乳房を一度に失ってしまうことは、ただ乳房を失うという現実以上の悲しみと喪失感があります。こうした言葉は、どれほど女性の心にこたえることでしょう。
幸い、検査の結果、左乳房の疑いは晴れ、手術日も決まり、いよいよ右乳房の手術当日、竹井さんは麻酔をかけられる直前に、「先生、きれいにお願いします!」と念押しを忘れませんでした。
そして目覚めたときは、病室のベッドの上でした。その夜はなかなか眠れず、痛む片腕を伸ばし、自分の手術創をデジカメで撮って確認したという竹井さん。何事につけ、自分の置かれた状況を、客観的に把握しておかないと落ち着かない性格なのです。
「私が最も不安に感じるのは、自分の状況が把握できていないときです。今の状況を把握し、理解していなければ、次の一歩をどう踏み出していいか分かりませんから。状況を把握しつつ、今できることや次にするべきことは何かなどと考えていると、もういちいち立ち止まって落ち込んでいる暇なんてありません(笑)」
もちろん、死を連想させる病気だけに、大きなショックを受けたことは確かです。しかし、そこで竹井さんは乳がんという「否定できない現実」によって落ち込むよりも、そのことに真正面から向き合い、取り組むことに意識を向けたのでした。



「自分にとって良い主治医」になってもらう
働きかけが患者にも必要

 さて主治医と患者との関係について、竹井さんは、一患者の立場からこんなことを語ります。
「ぴったり相性の合う主治医に出会うことができれば、それにこしたことはありませんが、最初から信頼関係が確立しているケースは、そう多くはありません。医師の側にお任せするだけでなく、時には、“自分にとってより良い主治医になっていただこう”という患者の側からの働きかけも必要かもしれません」
 それには、「主治医のどんな言葉や態度に救われ、癒されたかということについても、具体的に伝えることが大切」と、竹井さんは言います。
「そうすることで、先生も、どんな対応が患者の不安を取り除き、前向きに治療に取り組むための援助につながるのか分かってくださると思うのです。先生に感謝の気持ちを素直に伝え、気持ちよく仕事をしていただくなかで、徐々に好ましいパートナーシップを築き上げていく。そうするうちに信頼関係も確立していくと思います」
 こう語る竹井さんは、退院後も主治医への感謝の気持ちを手紙という形で、一つひとつ伝えたのでした。次に続く患者さんたちにも同じように好ましい対応をして下さるかもしれない、そうあってほしいという想いを込めて…。


日常のささいな事柄に
これまで以上に喜びを感じる毎日

 ともかくも一週間の入院生活を終え無事に退院日を迎えた竹井さん。術後の病理結果を踏まえて提案されたホルモン剤による治療は、副作用を考慮して選択せず、経過観察だけとなりました。
入院中は、同じ時期に入院した乳がん患者さんたちと親しく言葉を交わすようになり、互いに不安や悩みを打ち明ける機会を得られたことが、竹井さんにとって大きな支えとなりました。退院後もメール交換をしたり、実際に会う機会を設けたりして、乳がん経験者だからこそわかること思うことなどを皆で分かち合っているそうです。
「友達でも、家族でも、自分の気持ちをわかろうとしてくれる人がいることは、とても有難いことです。それは、がんの経験者であっても経験者でなくてもよいのです。“心を寄り添わせてくれる人たちがいる”そう感じられることで、どれだけ救われることでしょう…」
 手術からもうすぐ一年。竹井さんはあらためて、がんという病気について振り返ります。
「病気は、決して嬉しいものではありません。でも、がんになったことで、以前よりも喜びを多く感じることができるようになったことは、私にとって大きな幸せです」と竹井さんは言い切ります。
 以前よりも、一瞬一瞬が大切に思えるようになったという竹井さん。それは、一瞬一瞬を「がむしゃらに生きる」ということではなく、「味わって生きること」であると、竹井さんは言います。
「これまでは、忙しさのなかで気づかなくなっていたような、小さな一つひとつの事柄、たとえば、頬を吹き抜けてゆくそよ風を心地よく感じたり、芽吹いたばかりのやわらかな緑に感動したり、まぶしいほどの朝の陽ざしに今日も生きていることを感謝したり…と、今では、そうした日常の当たり前のような、一つひとつの事柄にまで喜びを感じるのです」
 そして、それを竹井さんは、「夜空の星のように、昼間は太陽の明るさのなかにあって見えないものが、闇のなかにあって初めて見えてくる・・・そんなふうに思えるのです」と詩的に表現します。病気という闇のなかに一度迷いこんだからこそ、人生が以前にもましてより豊かに、光り輝いて見えるのでしょう。
「与えられた病気を拒むことができないならば、せめてそのなかにあって小さな喜びや幸せの見つけ上手になりたいものです」そう語る竹井さんの目は、これからもたくさんの幸せを見つけてやろうという子どものような好奇心と、病を授けてくれた神への感謝で深く輝いています。





がん患者さんからの投稿エッセイ

『さっちゃんのがん物語』
「がんは人生の軌道修正の切り札、
チャンスなのだから・・・」
───佐藤幸代


佐藤幸代さん

四万十川ユースホステルの門(入り口)お客さんと記念写真

第3回目 『ステージVの食道がん〜治療まで
(手術か・放射線か?代替医療か?)』
その2 上京〜千葉県柏の国立がんセンター東病院へ

■食道(約20cm)のほとんどが、がんに侵されていた・・・そして東京へ

四万十市立病院の先生からは、東京の病院への紹介状を渡される際に、「いくら転移しにくいがんとは言っても、これだけ大きいし、遅くても2月中までには治療をスタートされた方が良いですよ」と言われました。
写真を見ると、素人目にもはっきりわかるくらい、喉のすぐ下から胸の下にかけて、全長15cmほどのヒョウタンのような形をした大きな瘤がニつ繋がっていて、食道(約20cm)のほとんどが、がんに侵されていました。
数mm〜1.2cmのがんでも、他に転移して手遅れという場合が多々あるのに、こんなに大きい食道がんが、他の臓器に転移してないというのは奇跡だと思いました。
その翌日には、レントゲン、血管造影、CTの写真と紹介状を持って、すぐに夫とともに上京することにしました。
 考えてみると、ユースホステルの経営者となって以来15年間、夫婦揃っての上京なんてほとんどなかったことなので、こんなときなのに、私の心はウキウキしていました。
四万十川沿いの国道を、夫が運転する車の助手席で、「二人で東京へ行くなんてこと、敏夫さんのお父さんが亡くなった時以来初めてよねぇ?」いつも見慣れた景色を眺めながら明るく話しかけると、ぶっきらぼうに頷く夫の横顔は、緊張感で一杯でした。

(そうか!私はがんだったんだ!今は喜んでいる場合ではない・・・)そうは言っても、夫と一緒に飛行機に乗るなんて初めてのことでしたから・・・。実は、私たちは結婚して新婚旅行ヘは行っていなかったのです。(1回くらい、二人で外国旅行したかったなぁ)


■両親や妹に、自分のがんを説明、手術を薦められた・・・

 東京の実家に着くと、両親や妹に病院から預かってきた、がんの写真を見せながら、私は得意げに説明しました。
「これが私の食道がん。15cmだって!半端じゃなく大きいでしょう?この大きさで原発巣だけに留まって、他の臓器に転移してないのは奇跡よねぇ」
がんの大きさを自慢しても、仕方ないのですが・・・。父いわく、「そうだな、幸代は普通じゃないからなぁ」。そうなのです。私は、昔から奇抜なことをするのが得意だったせいか、親は多少のことでは驚かなくなっていました。今回も、そんなに驚いた様子はなく、深刻にもならずに、いつもと変わらない冗句と笑いの雰囲気だったのでホッとしたのでした。
でも、さすがに治療法の選択肢の話になると、皆真剣に手術を薦めてきました。家族としては、少しでも治る確率の高い方を選んでほしいのは、当たり前かも知れません。私が逆の立場なら、やはり手術を薦めたでしょう。でも過去に看護婦をしていたときに、がんの子宮全摘手術に立ち会って、その執刀医と助手の雑把なやり方に、随分、反感を感じたことがあります。その患者は、2か月後に亡くなられたのですが、術後のケアをしながら、「もし私が手術を受けなければならないような病気になったとしても、絶対に手術だけは受けない!」と心に誓ったのでした。
子宮全摘や胃全摘でも大変なのに、食道がんのような大手術なんてとんでもない。運悪く下手な執刀医に切られて、縫合不全や肺への癒着が生じたら・・・、声帯まで取られて、声がだせなくなってしまったら・・・そう思うと、とても手術を選択する気にはなれませんでした。
近くの沢で川泳ぎ

ユースホステル前の河原

■病院選びでインターネットや書籍を見て・・・

放射線でも腫瘍が消失している例は、いくらでもあります。根治治療が臨める可能性もあるはずです。いずれにしても、病院は慎重に選ばなければなりません。ですから私は、必死に インターネットや病院ランキングの本を見て、国立がんセンター中央か、国立がんセンター東病院に的を絞りました。
ただランキングで、トップクラスの中央は、当時、手術待ちが約2か月、化学的治療(放射線など)待ちが3〜7週間だったので、少しでも待ち期間が少ない国立がんセンター東病院の方を受診することに決めました。
予約は入れていないけれど、上京した日が土曜日だったので、日曜日に出発して病院の近くのホテルに泊まり込み、翌日の月曜日、早朝から国立がんセンターへ直接行って順番待ちすることにしました。
 道に詳しい父の運転で夫と3人で出発しました。このときも、私は父と夫と3人で1泊旅行のような気分でウキウキしていました。
(こんなことは、普通では有り得ない!普通じゃないのって、けっこう楽しいかも!)ホテルにチェックインした後、3人で居酒屋へ行って明日のために乾杯しました。がんのお蔭で、幸せなひとときを味わえたのでした。 


四万十川をカヌーで探索

四万十川を泳ぐ魚

■国立がんセンターでのこと

 翌日、がんセンターへは7時過ぎに到着していました。空港のような広々としたロビーも、8時過ぎには再来のがん患者でいっぱいになって、受付開始の8時半が近づくと、診察券の自動受付機の前に長い列ができました。(こんなにたくさんのがん患者がいるんだぁ)あまりのがん患者の多さに、私は圧倒されてしまいました。
私と同じように、大きなレントゲン写真の袋を下げた初診らしき人もいましたが、予約をしてない飛び込みの初診は私だけでした。 予約の無い場合は、混み具合によっては受け付けてもらえないということなので、ダメもとのつもりでした。仮に受け付けてもらえたとしても、待ち時間がかなり長いだろうということは、覚悟しておりました。
 ところが思ったよりもスムーズにことが運び、内科の診察相談から検査、次回の検査予約と会計までがお昼過ぎには終わりました。
 初診受付の人は、にこやかで親切でした。高知県から来たことを考慮してくれたのでしょうか、すぐに対応してくれて、Drの許可をとり、初診の受付を済ませると、検査室、診察室など、ていねいに案内してくれました。
 外来の受付は、内科と外科が一緒になっていて、診察室が七つもありました。内科と外科の総合受付には看護師が2人いて、受付の処理や各種検査室への案内など手際良く、常に笑顔で親切な応対でした。
診察室への患者の呼び入れは、インターホンで医師が直接行い、診察室では医師対患者と家族のみで、看護師の補助はいっさいありません。カルテは電子カルテで、すべてパソコンで管理されているので、診察室のデスクには、ノートパソコンが1台あるだけです。検査の予約や処方、次回の再診の予約までを医師が診察中その場で行い、検査結果もパソコン上で、患者の電子カルテに直接送られてきます。
診察券にID番号が登録されていて、すべて診察券のカードで受け付けするから管理や時間に無駄が無く、迅速!ミスや行き違いの無いようになっています。さすが高度先進医療!だからこそ、これだけ多くのがん患者に対応できるのだと、つくづく感心しました。

<国立がんセンターで内科Drに質問したこと>

Q:進行度はTかUと言われましたが、これだけ大きくても、TかUと言えるのでしょうか?私の場合、最も有効と思われる治療法は?
A:これで、TかUということはないですね。見る限りではUかVでしょう。5年生存率で言えばやはり手術です。

Q:手術は、できるだけ避けたいです。手術以外の方法(放射線・抗ガン剤・免疫療法)での根治の可能性はありますか? 免疫療法は? やはり手術が有効なのですか?
A:放射線で、がんが消える人の割合は50%〜60%です。放射線を使える量は、限られています。治療が終わった段階で、がんが、もし残った場合は、手術を考えることもありますが、放射線療法の後は、免疫力や抵抗力がかなり低下しているので、手術はかなり  難しくなります。

Q:もし手術するとしたらどんな流れで、いつになるのでしょうか?
A:手術は予定がつまっていて、早くて1カ月後になります。その間手術への影響を考
えて何も治療はしません。 

Q:術後の経過についてのおおまかな流れは? 
A:それは、外科のDrの方から説明されます。通常は、術後、順調なら3〜4週間で退院できます。

Q:肺への癒着、縫合不全が生じた場合、どうなるのでしょうか?
A:外科のDrの診察の際に、詳しく答えてくれるでしょう。

Q:そのほか、手術で起こるかもしれない合併症は?
A:高熱、肺炎などです。

Q:声が、でなくなってしまうことはないですか?
A:食道頸部は喉に近く、声がかすれたりする可能性が高いです。最悪声帯を、取らざ  るをえないこともあります。

Q:Wellの細胞の場合は、抗がん剤や放射線より手術の方が良いと言われたのですが、例えば内視鏡手術である程度とって、とりきれない部分は、放射線や免疫療法などを使うということはできないですか?
A:内視鏡手術は、あくまでも早期がんか末期で、手術不可能な場合の食道通過を良くするためだけの補佐的な手術ですからできません。がんの治療には、WellとPoorの違いは関係なくて、どちらだから治療方法が変わるということはありません。

Q:例えば手術をして、進行度が加速してしまうということはないですか?
A:そういうことはありません。

Q:細胞の性質が、Well(高分化)からPoor(未分化)に変化するということはありますか?
A:この生検は、あくまでも表面の肉片をとっただけですから、深層もWellとは限りません。ですから、Well かPoorかは一部分の生検では、判断できないのです。

Q:鏡視下手術について(行っているか?受けられるか?)
A:当病院では、鏡視下手術は行っていません。」

☆☆☆四万十川ユースホステルから(の呼びかけ)☆☆☆

YHの前には四万十川がゆったりと流れています。その澄んだ碧い水のなかを、魚たちは元気に泳ぎ水面を飛び跳ねる。それを狙って鷺が水面上を低飛行している。
 空と山と清流の自然以外は何もない。何もないからこそ、くつろげる。ゆったりとした気分になれる。

■四万十川ユースホステルへようこそ!
http://www.gallery.ne.jp/~yh40010/

■佐藤幸代さんのブログURL
http://shimantoyh.seesaa.net/


乳がん闘病中の内山 遥(うちやま はるか)が
レポートする連載『がん患者さんのための「免疫とがん」講座』


和合治久教授

1950年長野県生まれ。東京農工大学大学院修了、京都大学にて理学博士号を取得。現在は埼玉医科大学保健医療学部健康医療科学科・学科長。日本における免疫音楽医療研究の第一人者であり、CD『最新・健康モーツァルト音楽療法』シリーズ(ユニバーサルミュージック)の監修も手がける。著書に『モーツァルトを聴けば病気にならない!』(KKベストセラーズ)など。
第6回

がん患者さんのための『免疫とがん』講座
音楽療法<その3>
音楽療法を効果的に行うためのポイント



取材協力
埼玉医科大学保健医療学部
健康医療科学科・学科長
和合治久教授


これまで、音楽療法、とくにモーツァルトの音楽が私たちの心身にどのような影響を与えるのかについてお話を伺ってきました。今回は、効果的な音楽療法を行うにはどうすればよいのか、押さえておきたいポイントなどを、前回に引き続き、埼玉医科大学の和合治久教授に伺います。

集中して聴くことが効果をあげるポイント

音楽療法<その1>、<その2>を読んでいただき、さっそく試してみたいと思った方もおられるでしょう。そこで今回は、効果的な音楽療法を行うポイントについて、ご紹介します。
音楽療法に適した音楽には、バッハの無伴奏チェロ組曲やグレゴリオ聖歌などもありますが、やはり周波数やゆらぎ効果、倍音効果などからモーツァルトが一番だそうです。どれを選んでいいかわからないという方は、和合治久先生監修のCD『最新・健康モーツァルト音楽療法』シリーズのPART3(免疫疾患の予防<1>)、PART6(免疫疾患の予防<2>)を選ぶとよいでしょう。
「モーツァルトの音楽の周波数を分析すると、五つのパターンに分かれます。そのなかで、ストレスホルモンを減少させるとともに血行をよくし、唾液中のIgA抗体が、とくによくでる曲を集めたのが、PART3とPART6です。唾液中のIgA抗体が増加すればするほど、血液中に動員されるリンパ球も増えることがわかっていますから、この音楽を聴くことによって、免疫力アップにつながるわけです」(和合教授)
 音楽療法の効果を高めるには、何よりも集中して聴くことが大切です。BGMとして音楽を流すだけの、いわゆる音楽鑑賞と比べると、効果はまったく異なるそうです。集中度を上げるため、耳をすっぽり覆うヘッドホンを用意し、目をつぶって快いと感じる音量で聴きましょう。どうしてもヘッドホンに違和感がある、疲れてしまうという人は、静かな部屋で耳元にスピーカーを置いて聴いてもOK。このとき、体が冷えないよう、暖かい服装になり、リラックスした姿勢を保ちます。
 治療中の患者さんが、音楽療法を試すに当たっては何の問題もないとのこと。むしろ、化学療法と組み合わせることによって、相乗効果が見られた例もあったそうです。
「午前中と就寝前に、最低でも20分、できれば30分ずつ聴くようにしましょう。がん細胞を攻撃してくれる主な免疫細胞は、NK細胞とキラーTリンパ球ですが、これらの細胞が活躍するのは主に夜間です。このため、就寝前にモーツァルトの音楽を聴くことによって、脾臓やリンパ節に定着しているリンパ球がより多く動員され、がん細胞を攻撃してくれるはずです」(和合教授)


数分で唾液がじわっ・・・体温も1℃上昇

 さっそくCDとヘッドホンを購入し、実際に音楽療法を試してみました。私が試したのは、『最新・健康モーツァルト音楽療法』シリーズのPART3です。上着をはおり、靴下をもう1枚はいて、いつもくつろぐ場所でヘッドホンを装着し、音楽に集中。軽快なクラリネットの音が、耳に心地よく響きます。
すると、5分もたたないうちに唾液がじわっとでてきました。また、30分後に体温を測ると、聴く前より1℃上昇し、36.0度になっていました。通常、私の体温は35.7〜35.9℃くらいで、36℃を超えることはめったにありません。なのに、30分音楽を聴いただけで、簡単に36℃まで上がったことは驚くべきことです。体温が高くなれば、それだけリンパ球が増え、がんに対する攻撃力が高まったということ。やった!
「大切なのは、毎日続けること。絶対治してみせるという意識を持ちながら真剣に聴くと、それだけ効果も高まります。また、音楽療法と同時に免疫力を高める生活習慣を実践することも不可欠です。7時間程度は睡眠をとり、間食を避け、空腹の時間をつくること。キノコ、バナナ、海藻、ニンニクなど、免疫を高めてくれる食材を意識的にとることなどを心がけましょう」(和合教授)
音楽療法は、誰にでも手軽にでき、副作用もありません。元手もほとんどかからないのも、うれしいところです。1日1時間ほど音楽を聴くだけでリンパ球が増えてくれるなら、私たちがん患者にとってはありがたいことですね。あなたも、音楽療法を生活の一部に取り入れてみてはいかがでしょうか。

<免疫力を高める音楽の聴き方>


☆☆内山 遥の近況報告☆☆ 

自分が、がんだとわかり、手術を受けることになったとき、 それを誰に打ち明けようかと悩んだことがあります。同居している家族は夫だけなので、夫には一番先に話しましたし、2人の姉妹にもすぐに打ち明けました。仕事関係では、ごく親しい方にだけ話し、ほかは「体調をくずしたのでしばらく休みます」という報告だけにしました。
悩んだのは、母に打ち明けるかどうかということです。母は現在70歳で元気に暮らしていますが、血圧が高く、かなりの心配性です。7年前に夫(つまり私の父)を肝臓がんで亡くしていることもあり、私ががんだと知ったら、具合を悪くしてしまうのではないか・・・そう思いました。 姉妹に相談すると、やはり2人とも「言わないほうがいい」という意見。そこで、母には隠し通すことになりました。
私が実家に帰るときは姉妹が集まり、それとなく、ばれないようにカバーしてくれるのです。お正月に帰ったときは、抗がん剤の副作用で脱毛してしまったため、ウイッグをかぶっていましたが、入浴時なども姉妹の連携プレーで切り抜けました。母はいまだに、私ががんになったことに気づいていません。
先日、母が畑で育てたソラマメが送られてきました。母にお礼の電話を入れると、「元気なんでしょ?」と聞かれました。これは母の口癖で、電話をするたびに必ず聞かれるのです。私はもちろん、「元気だよ」と答えました。これからも母を心配させることのないよう、本当に元気にならなければ・・・。そして、10年後、「お母さん、私、がんだったんだよ」と笑って言える日が来ればいいなー。そう思いながら、ソラマメをゆでました。

■取材・文:内山 遥(うちやま はるか)
女性誌や医療関係の雑誌に執筆するメディカルライター。2006年2月、入浴中に左胸のしこりを見つける。検査の結果、クラス5、ステージUの乳がんとの診断。4月に乳房温存手術を受け、リンパ節に転移があったため、抗がん剤治療を6クール受け、さらに放射線治療を受ける。ホルモン剤服用を2か月でやめ、現在は、がん再発を防ぐ生活を模索しながら実践中。

提供:株式会社サン・メディカ
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