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月刊がん もっといい日Web版

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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803




週刊がん もっといい日
2008年Vol.97
2月22日更新


Vol.97号の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ

@ここにこの人
外科医として標準治療を踏まえたうえで、
患者さんの“代理人”として希望するがん治療を
トータルコーディネート
キャンサーフリートピア二代目代表 三好立医師

A連載
『命のともし火−家族に看取られた32歳のOL』
みゆき

B連載
がんになった教師から生徒たちへのメッセージ
がんという病と闘い生きる姿、そして「命の不思議」と「大切さ」

第6回目 『直腸の摘出手術後』
友村忠(ともむら ただし)


Cインタビュー
小林一彦・臨床医ネット代表に聞く
『化学療法と緩和ケアの接点、希望格差を生まないために〜』

08年2月15日更新内容 全記事はこちら

腹膜播種に関する情報を『週刊がん もっといい日』編集部にお寄せください

腹膜播種(ふくまく はしゅ)についての問い合わせが、『週刊がん もっといい日』編集部に寄せられました。聞けば、身内をこの腹膜播種のために亡くされ、そして今また、身内が同じ疾病に罹ったとのことです。
「どんなことでもいいから、とにかく情報を欲しい」
さっそく編集部では、さまざまなネットワークを通じ情報の入手に力を注いでいますが、幾つかお寄せいただいた情報によれば、「腹膜播種とは、原発(もともとのがん)がんにもよりますが、お腹をおおう内面全体に、がんが散らばった状態をと言います。ごまを播いた状態みたいと考えてください。そしてそれが次第に大きくなり、悪さをしだします。がん性の腹水がたまったり、腸の壁で育てばやがて内腔を狭めイレウスとなる」のだそうです。
ちなみにHPに掲載されている情報(2008年2月22日現在)は、以下の通りでした。

<癌性腹膜炎の専門科を有する施設>
がん性腹膜炎・腹膜播種に対する治療は、ほとんどの消化器内科・消化器外科で行われていますが、特に下記施設は専門の単独科を標榜して腹膜亜全摘+温熱化学療法、持続温熱腹膜潅流CHPPなどの積極的な治療にあたっています。

■腹膜播種リンク先■

◇静岡県立静岡がんセンター・腹膜播種科
http://www.scchr.jp/
電話 055-989-5222(代)

◇胃癌腹膜播種に対する新しい治療
皮下埋め込みポートを用いた腹腔内化学療法
http://daydreamer.or.tv/ip_pacli/index.html

◇癌性腹膜炎 さまざまな治療法
http://www.m-clinic.jp/gannseifukumakuenn.htm

◇コンセンサス癌治療
癌性腹膜炎の治療
http://www.cancertherapy.jp/stomach/cnt05s/cnt05s_08.html

◇大阪大学大学院医学系研究科外科系臨床医学専攻
外科学講座消火器外科学

腹膜播種の治療
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/surg2/www/cancer/i/torikumi/fukumaku.html

◇スキルスがん・腹膜播種専門掲示板
http://bbs1.nazca.co.jp/20/sukirusu/

◇胃癌腹膜播種研究会
http://heartland.geocities.jp/peritonealp/

腹膜播種についての情報は、まだ他にもあるでしょう。そこで『週刊がん もっといい日』を見ていただいている皆さまにお願いです。腹膜播種に関する情報、どのようなことでも構いませんので、一縷の望みに託された患者さんのご家族のためにも、ぜひご協力ください。
さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」でありますように・・・。

『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.97☆☆☆

ここにこの人

外科医として標準治療を踏まえたうえで、
患者さんの“代理人”として希望するがん治療を
トータルコーディネート

キャンサーフリートピア二代目代表 三好立医師
三好立医師

プロフィール

みよし・たつ 
1992年、産業医科大学卒業。亀田総合病院、癌研究会附属病院等を経て、2006年、日本で初めてがん治療をトータルコーディネートするキャンサーフリートピアの二代目代表医師に就任。福岡の羅寿久会浅木病院外科部長・理事を兼任。2007年銀座並木通りクリニックを開院。医学博士。日本外科学会専門医。呼吸器外科専門医。

『このガン、切るべきかきらざるべきか』など、患者さんの立場から現代の医療を問うの書籍を残し、「ドクターハラスメント」の言葉を作ったことでも知られる土屋繁裕医師が、日本で初めてがん治療をトータルコーディネートするキャンサーフリートピアを開設したのは、2000年こと。その後、病気のため49歳で急逝した土屋医師の遺志を引き継ぎ、東京・銀座の地で、キャンサーフリートピア二代目代表として患者さんの相談にあたっているのが、銀座並木通りクリニックの三好 立医師です。三好医師は、「がん患者さんが闘病していく過程で迷わないよう、患者さんの羅針盤となれれば」と活動への想いを熱く語っています。


目指すのは
患者さんにとって“便利な医師”


キャンサーフリートピアが担うのは、がん患者さんの“代理人”としての役割。今の医療制度では、外来で十分な説明を受けようと思っても、医師に時間的なゆとりがないため、説明不十分により不安を抱えたまま病院を後にする患者さんは少なくありません。そこで、プロ野球の選手が年俸を交渉する際に代理人を立てるように、主治医と患者さんの間に第三者の医師が入り、がん治療の方針を一緒になって考えていくのが、キャンサーフリートピアの活動です。
「ここでは相談にいらしたがん患者さんに対して、あくまで一意見ですが、がんの進行度合いなどを踏まえて、“あなたにとって適切な手術はこの範囲までですよ”、といった治療方針を外科医の立場から一つひとつ提案していきます。患者さんが、今後どうやって生きていきたいのかといった人生観を踏まえたうえで、ゆとりのあるコンサルタントをするわけです」
 こう話す三好医師が目指しているのが、患者さんにとって“便利な医師”。キャンサーフリートピアには、入院前にしっかり医師から説明を聞いておきたい患者や、治療方針に疑問をもち、セカンドオピニオンを求めてやってくる患者さん、標準治療から見離された患者さんなど、さまざま相談者が訪れます。
しかも会員になれば、365日いつでも三好医師と携帯により連絡を取ることができるため、主治医に話を聞いた直後に三好医師に連絡をとり、聞いてきたばかりの治療方針について相談することもできるのです。


外科医だからこそ
手術の妥当性が正確に判断できる

「腫瘍学の話から後の治療方針まで説明するには、一人あたりの最低2時間は必要」と三好医師。料金は5万円。一日3組受けると「精神的にへとへとになる」という状況にあっては、自由診療でなければ経営が成り立ちません。
情報にどれだけの価値を見出すかは、個人の価値観によるところが大きいものの、相談をした患者さんからは、今まで一度も「高い」という指摘を受けたことはないそうです。
三好医師の強みは、自身が外科医であるということ。
「がんの標準療法(手術、抗がん剤、放射線治療)の一つである手術に関しては当然、どの臓器をどれだけ切ればどんな後遺症が残るかといったことを、正確に把握しています。だからこそ、“この患者さんはこういった生活を望んでいるから、手術でそこまで切ったらこういう障害がでるので、その手術は控えましょう”、といったことを提案することができる。もちろん、手術をやみくもに否定することはなく、手術したほうがいいケースも多くあります。あくまでも標準治療を把握したうえで、そのバランスのなかで治療方針を考えていけるのが、外科医の強みといえるでしょう」


相談を始めた当初はスタッフに
「目線が上」と注意されたことも

 がんを正しく理解して前向きに向かってもらうため、がん細胞が成長していく過程や時間など、全患者に対しがんのメカニズムを分かりやすく説明することも欠かしません。
「たとえば、がん細胞が生まれてから大きくなるまでの過程を、図で分かりやすく書きながら説明すると、患者さんの反応がまったく違ってくるんです。みなさん、ここ1〜2か月で急にがんになったと思い込みがちです。しかし実は、数年かかってがんになったんことを話すと、“そんなに時間がかかって大きくなるのか。じゃあ、一日二日治療を急いだところで病状は変わらないんだな。それなら1か月間、いろんな医師の話を聞いて治療を考えよう”と、前向きに治療と向き合ってくれる。その手助けをするのが我々の仕事でもあるのです」
 キャンサーフリートピアの活動を始めた最初の頃は、土屋医師の時代から秘書を務めるスタッフに、「先生、目線が上ですよ」と注意されたこともあるそうです。今では、常に患者さんの立場、目線に立つことを忘れず、どんなに標準治療から見離された患者さんであっても、保険治療から代替医療まで、何らかの治療案を提供していくという三好医師。
「患者さんの人生観や経済状況などあらゆるものを含めて、トータルに治療をコーディネートしていく。いわば、がん患者さんにとっての羅針盤になりえたらと思っています」(三好医師)


● キャンサーフリートピア
住所:東京都中央区銀座44-2-2 第一弥生ビル7階
電話:03-3562-7775
ファクス:03-3562-7774
面談可能日:月〜金 9:30〜18:00
http://www.cftopia.com/





連載

『命のともし火−家族に看取られた32歳のOL』

私(筆者のみゆきさん)と一周忌の月に、
生まれ代わりのように誕生した新しい命
みゆき

1973年4月16日、女の子が誕生、山本陽子と名づけられた姉は、32年間、誰にでも好かれ、家族、友人たちに、素晴らしい笑顔を送り続けたのです。家族と暮らした楽しかった日々・・・。2006年2月28日、大好きな姉は永眠しました。そして2007年3月、一冊の本が完成しました。32歳で亡くなった大好きな姉のがん闘病記です。著者は、妹のみゆきさん。姉の素晴らしい笑顔と人生を綴った作品は、きっと多くの人たちの心に響いたことでしょう。『週刊がん もっといい日』編集部では、残された家族としての心境も織り交ぜて、みゆきさんに、いま改めて、がんとの闘かいの日々を振返り綴っていただきました。
「私は、姉の生涯と闘病生活を振り返り、当時の出来事を綴りました」−32歳で永眠した著者の姉のがんとの闘いの日々を克明に記した書『あなたの笑顔を忘れない』は、繊維形成性小細胞性腫瘍に侵された女性と家族との触れ合いが綴られています。 太陽のように輝いて周りを照らし、春の陽射しのように、周りを暖かく包み込むような元気な子どもに育って欲しいとの願いから、両親が名づけた名前が「陽子」(筆者の姉)。姉の誕生からの軌跡をたどりながら、楽しかった姉との思い出をふりかえる妹。 突然、「がんの可能性がある」と医師から告げられた姉からの連絡。そして宣告、手術、がんとの闘い・・・。やがて死。姉との別れ。娘に先立たれた母親の辛い心の胸の内。筆者は、克明につづります。「来世も、お姉ちゃんと姉妹になりたい」-かけがいのない姉を失った妹。そんな日々の思い出を一冊の本に記した本書。ぜひ手にとって、お読みください。新書判、本文128ページ。新風舎刊。1200円+税。


3回目『26日間という短い入院期間』


■卵巣から肝臓、肺へと転移したがん


2008年1月11日、薬害肝炎被害救済法が成立し、1月17日付けの新聞折込みで、C型肝炎 感染の危険がある血液製剤が納入された約7500の医療機関のリストを公表していました。そのリストのなかに、母親のかかりつけの病院名、そして姉が最期にお世話になった病院名が記載されていました。
姉が3日間の入院検査の結果で、卵巣がんという診断を受けた際、すでにC型肝炎に感染していました。C型肝炎に感染すると、インターフェロンなどの注射や内服薬で治療していくようですが、姉本人には、まったく自覚がなく、肝臓が炎症して働きが悪くなったこともなく、何か症状にして現れるといったこともなかったため、"いつ"感染していたのかは、現在も不明のままです。
両親は、姉の交友関係を調べたがりますが、もしかしたら、姉がC型肝炎ウイルスの持続感染者だったのかもしれません。26日間という短い入院期間で、姉は肝硬変を発症し、卵巣がんから肝臓、肺へと転移していきました。


■余命1か月が少しでも延命してくるならば・・・

32歳のきれいな女性の身体が、がんに蝕まれて青紫色の斑点ができ、やがて水が溜まり、体重がどんどん増えていく。そんな姉の身体の変化を、今もはっきりと覚えています。そして、これからもずっと忘れることはないでしょう。
姉のレベル4の末期がんを、何としても治したい、余命1か月が少しでも延命してくるならばと、私たち家族は、がんの治療本やアガリクス、漢方薬などにもすがる思いで、買い集め、そして毎日調べていました。
何が効くのか。何に効くのか。それこそ、姉を助けたい一身でした。本当に愛している人に対しては、こんなに必死に動き、たのみ込めることができるのだと、私は、このときに初めて知りました。


■食欲がある、食事ができることは患者にとってとても大切なこと・・・

私たちは、主治医の許可を得て、ほかにタヒボ茶や、アラビノキシランという白血球を増やして、がんの予防や治療に役立つといわれている免疫強化物質の清涼飲料水を、抗がん剤の『タキソール』『カルボプラチン』による化学療法と併用して、姉に服用してもらっていました。
母も、病院食とは別に、がんに効くという食材を使って、毎日三食、姉にお弁当を作ってきていました。しかし、震えている姉の手から口へと運び込まれる食事は、本当にごく僅かでした。
テーブル上にいっぱい並べられても、好物を持ってこられても、もう食べられないのです。病に侵された 体が、きっと『いらない』と信号をおくってしまうのでしょう。
 女性なので、"ダイエット"という言葉は、まとわりつきますが、食欲があること、食事
ができることは、有難く、とても大切なことだとつくづく感じています。




連載

がんになった教師から生徒たちへのメッセージ
がんという病と闘い生きる姿、そして「命の不思議」と「大切さ」

友村忠(ともむら ただし)

<プロフィール>友村 忠(ともむら ただし) 
大学卒業後、みなと山口新聞で一年間記者を経て、福岡県の小学校教師となる。以後、福岡県中間市で教職をとる。 福岡県教育委員会の人権読本の執筆委員となり小学生用の副教材の執筆をする。「おばあちゃんの俳句」(識字教室での様子)、よしおのささぶね(地元教材)、絵本チマ・チョゴリの卒業式(制作スタッフ)などを作成。

第6回目 『直腸の摘出手術後』

「今は手術後だから、少し様子を見てみましょう」

直腸摘出手術後、声が出ないことに慌てた私は、手元に置かれたナースコールをひったくるように掴みました。初めてのナースコールです。要領がまったく分からず、繰り返しボタンを押すと、数分後に、「何があったんですか」と、はじけるように駆けつけた医師と看護師が顔を、のぞき込みました。
「声、声が出ません」と私は息を吐き出しました。
「はあ?」と医師は、拍子抜けしたように小さな声をもらした。そして、「今は手術後だから、少し様子を見てみましょう」と出て行きました。1人残った看護師が、点滴を確かめながら、「麻酔の影響で声が出なくなる患者さんもいるんですよ。時間が経てば出るようになりますから」と慰めてくれました。
「助かった、時間が経てば、声がでるようになるんだ」と大きく息を吐き出しました。安心した私の顔を、看護師が再びのぞき込みながら、さりげなく言いました。
「午後から、少し練習しましょうか。私の希望としては、青竹踏み三百回です。それが無理なら、20m離れたナースステーションまでです」
そう言い、看護師は、ポケットのPHSの発信音にせかされながら出て行ったのです。


「声が出る、助かったんだ」

「声が出る、助かったんだ」と浮かれた私は、看護師の言葉が、何を意味するのか分からずに午後を迎えました。
病院での初めての昼食は、おもゆとスープでした。疲れ、緊張した私は、スプーン一杯も飲むことができなかったのです。ぼんやりテレビを見ていると、看護師が、にこやかに入って来ました。
「点滴の交換かな」と後ろ姿を追いかけていると、突然、「今日のメニューはなんですか」と振り返りました。私は、てっきり昼食のことだと思い、どれ一つとして形の無かった食べ物をしきりに思い出していると、看護師が口を開きました。
「青竹ふみ三百回、足踏み、それともナースステーションまでの散歩かな」
今にも、鼻歌が出そうな陽気さです。
「ちょっと、そんな、昨日手術をしたばかりなのに歩けないよ、無理だ」
全身で拒否反応を起こして、ベッドに身体を貼り付けようとする私に 「さ、歩きますよ」と看護師がいとも簡単に声を弾ませました。
「むぐっ」と呻きながら、私は必死に身体を起こそうとしましたが、ベッドから10cmも動きません。腹筋に力が、まったく入りません。大腸がんの手術後、一日ICU(集中治療室)に入っていて、やっと出てきたばかりだからです。


「うっ、息ができない。く、苦しい」

首を鶴のようにして動かない身体を見ると、十数本のチューブが生えています。
「無理です、歩けません」
息絶え絶えに私は言いましたが、ベッドを直していた看護師が、私をチラッと見ました。
「いいえ、歩いてもらいます。アメリカでは手術後、歩いて病室まで戻るそうです。いいですか、ベッドを起こしますよ」
有無を言わせずに、ベッドが九十度になり上半身が起きました。
「私の希望は歩けずとも、その場で竹踏みはやって欲しいんです」
ニコッと、眼が凍ったままの看護師の笑顔。有無を言わせない迫力に、首根っこを押さえ込まれてしまいました。
「い、痛い、無理だ」と息を吐きながら、私はベッドの脇から左足、右と出し、「ヨイショ」と、立ち上がった瞬間、「ウグ、げぼー」と全身で叫び、倒れてしまいました。手術で腹筋を20数cm切っているので、立ち上がろうとして切開部位にすべての力が集中してしまったのです。
声の無い悲鳴が、七階の廊下中の空気を震わせました。
「はあ?痛いですか」と看護師の呑気な声がゆっくりと、倒れた身体の上を通り過ぎました。
「うっ、息ができない。く、苦しい」
まるで亀が、甲羅を下にしてひっくり返ったように、手足を空中でバタバタと回しました。


「歩行訓練は体調に合わせてやってくれ」

「あ、その姿勢が一番苦しいですよ」
看護師の涼しい声。
「もっと早く、そのことを言ってくれ」
息ができず、あえぎながら私は、エビのように身体を横向きにして逃れました。
「残念ですね、じゃあ、この竹踏みは次回、と言うことで・・・」
看護師の後ろ姿が、涙に揺れながら廊下に消えていきました。
ベッドで毛布を頭からかぶった私は、「アメリカ人は、昔からバッファロウを食べている。だから、きっと腸も牛の角のように頑丈なんだ。しかし、先祖が米を食べてきた私の腸は、長いだけが取り柄で稲のようにヤワヤワだ。比べるのが、しょせん無理だよ。歩行訓練は体調に合わせてやってくれ」と、うめきました。
そのときです。「友村さん、メニューは何にしますか」と看護師の優しい声が聞こえてきたのです。


<編集部からのお知らせ>

『がんになった教師から生徒たちへのメッセージ
がんという病と闘い生きる姿、そして「命の不思議」と「大切さ」』を連載中の友村 忠さんのホームページ『友村 忠の迷い道』が開設されました。URLは次の通りです。
http://www.hpmix.com/home/tocotoco/



インタビュー

小林一彦・臨床医ネット代表に聞く

『化学療法と緩和ケアの接点、希望格差を生まないために〜』

医療メールマガジンMRIC(Medical Research Information Center)の2月19日発行号(臨時VOL17)に、『化学療法と緩和ケアの接点、希望格差を生まないために』と題した、小林一彦・臨床医ネット代表のインタビュー記事が掲載されていますので、紹介しましょう。


臨床医ネット(患者さんとともに納得の医療を目指す臨床医の会)をご記憶だろうか。05年のNHKスペシャル『日本のがん医療を問う』に真っ向から疑義を提し、マスコミなどで大いに話題になった医師たちの集合だ。
先日、代表の小林一彦医師に久し振りに会ったところ、医療再生議連が設立されたことに刺激を受け、また新たに活動を始めようとしているらしい。今どんな問題意識を持っているのか、聴いてみた。
小林医師は、再発難治がんの治療を受ける患者さんには、生きる「希望」が必要であるという。そして自身の臨床体験から、希望とは「現在苦労すれば将来的に報われるということを現在において確信できる心理的状況」と定義できるという。このため、患者さんの多くが、進んで今の苦労を求めるという。以下、小林医師の一人語りの形で話を続ける。


患者さんは担当医に「私は何をどう努力すれば良いですか」と問うてくる。たいていの医師は、早寝早起きや栄養のバランスといった当たり障りのない答えをするか、化学療法の合併症を抑制するための方法論にすり替えて答える。患者さんの求めているものは化学療法の成功率が上がるような方法論なので、求めているものに対して答えていないのだが、すり替えを自覚していない医師も多い。
 意図的にすり替えてしまう、もしくはすり替えにすら気づかないという背景には大きな問題が横たわっている。西洋医学の方法論として良質なevidenceを得るためには比較試験が必須であり、理想的な比較試験とは、解析対象となる行為以外は全て同じ条件にそろえたものである。
だから、そこに患者の努力のような定性化も定量化もしづらい因子は取り込めないし、そのような因子が存在することそのものから目を逸らしていた方が楽なのだ。この部分から医師は目を逸らしていて良いのか。
 患者さんの「努力」は様々な形態を取り、せっぱつまってくると、なりふり構わなくなってくる。放射線の出る温泉に入ったり、細胞療法をやったり、健康食品に手を出したり。今までは、そういうものを否定せよと医師は教えられてきた。
 しかし、そういう代替療法を否定することは、実は患者さんの希望を打ち砕くことなのでないか。たしかに治療効果はなく有害であることも多いが、たとえ代替療法を否定したとしても、その背後にある患者さんの希望まで否定することがあってはならない。
 医師が、自ら目を背けているものを認識して、患者さんの希望を肯定できるかどうかで、患者さんには希望格差が生まれる。たとえ報われなくても努力は尊いことなのですよという接し方、発想の転換があり得ないものか。自らのことは受容し、そのうえで他の人が同じ目に遭わないように努力する人もいる。
 最後まで希望を捨てないということと、あきらめ受容することとを両立させられないものか。限界まで治療するということをあきらめてもらわないと、緩和医療は関与していけない。現代の日本人は、かつてない程あきらめることが下手になっていると思う。あきらめることは悪いことなのか。むしろ、それが納得いく死と、その前にある納得いく生とのスタート地点なのではないか。
 人生は誰でも有限であるという当たり前の事実に立ち返れば、何かをあきらめつつ、しかし希望を捨てずに努力を続けるということは矛盾しないはずだ。


以上が小林医師の言いたいことだそうだ。がん医療の現場で逃げずに悩みもがいている人間でなければ、絶対に思いつかないと思われることで、とても感心し、また深く考えさせられた。がん医療に関して、がん対策基本法が成立してからガクンと報道が減ったと思う。でも、まだ千里の道の一歩を踏み出したに過ぎないことを思い知らされる。医療再生議連の方々相手にも陳述の機会が与えられることを祈る。(医療メールマガジンMRIC2月19日発行号(臨時VOL17から転載)

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