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月刊がん もっといい日Web版

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歌川ビル4F

『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803


週刊がん もっといい日
2009年Vol.184
11月27日更新


Vol.184号の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ

@連載・第二弾
生きるための緩和ケア最前線
―“がん治療と積極的疼痛管理”のすすめ
第8回目『患者の性格に応じた痛みへの対応の必要性』
器質的な痛みは医療用麻薬で除去が可能
精神的な痛みに対するフォローが重要に

Aクローズアップ
『いわゆる混合診療の法解釈論』
井上 清成(弁護士)
(2009年11月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会)


Bクローズアップ
ボストン便り
7回目 『保健医療や生活に関する話題』
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー博士(社会学)
細田美和子(ほそだ みわこ)
(2009年11月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会)

09年11月20日更新内容 全記事はこちら

Breast Cancer Network Japan-あけぼの会の
『乳がん無料相談室』のお知らせです
                             
 創設31年になる乳がん患者さんで組織するBreast Cancer Network Japan-あけぼの会が、12月5日(土)13時から15時まで、都内渋谷区のファイザー18階会議室(渋谷区代々木3-22-7 新宿文化クイントビル)で『乳がん無料相談会』を開催します。
 開催の目的は次の通りで、誰でも相談に応じてくれます。スタッフは、乳がん体験者(あけぼの会会員)で、乳がん電話相談を5年以上の経験者。
1)術前術後、自分では決断できないことがあれば、その相談に応じる。(昨今、医師の選び方など乳がん関連の情報が多すぎて、迷って、決断しにくくなっている)
2)術前化学療法(期間は平均6ヶ月)を受けている人は不安でも相談するところがないので、そんな人に対応する。
3)退院後、再発などの心配をしている人にアドバイスする
「他にもさまざまな不安を抱えて生活している人が多くいると思われます。そこで、このような機会を設定してみました。ゆくゆくはこの相談室を定期的に開きたいと考えています」(ワット隆子会長)
 女性たちに乳がん健診の必要性を呼びかけるなど、多彩な活動をするあけぼの会の「乳がん無料相談会」にぜひおでかけください。
ちなみに相談会の申し込みは、FAX(03-3792-1533)または、
E-mail(akebonoweb@m9.dion.ne.jp)で。問合わせは、あけぼの会事務局
(TEL:03-3792-1204/URLhttp://www.akebono-net.org/index.htm)。
 さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」でありますように・・・。


『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.184☆☆☆

久保田芳郎医師
連載・第二弾

生きるための緩和ケア最前線
―“がん治療と積極的疼痛管理”のすすめ

第8回目
『患者の性格に応じた痛みへの
対応の必要性』


器質的な痛みは医療用麻薬で除去が可能
精神的な痛みに対するフォローが重要に


取材協力:キッコーマン総合病院院長
久保田芳郎医師


くぼた・よしろう
1949年千葉県生まれ。74年東京大学医学部卒業。同大附属病院、東京都立墨東病院、同駒込病院、米・クリーブランドクリニック・リサーチフェロー等を経て、93年キッコーマン総合病院外科部長。96年より院長。現在東京理科大学薬学部客員教授、日本大腸肛門病学会評議員、日本外科学会指導医、日本消化器学会指導医、日本消化器病学会指導医、日本人間ドック学会評議員などを兼務。医学博士。

 「がんの痛みにも色々あって、“精神的な痛み”の占める割合って意外に大きいんですよ」――そう語るキッコーマン総合病院の久保田芳郎院長(専門は消化器外科)は、患者の性格に応じた痛みへの対応の必要性を訴える。昔から「病は気から」と言われるが、がんの痛みにも「気から」生じている部分があり、これを上手にコントロールすることで、器質的な痛みの除去をアシストできるというのだ。がんと宣告されて平常心を保てる人は少ない。単なる痛み除去だけでなく、心のケアを含めた疼痛管理がこれからのがん治療には求められるのだ。


医療用麻薬の種類が増えたことは
臨床医にとっても歓迎すべきこと


 久保田医師自身、近年のがん性疼痛除去をめぐる治療法の進歩に驚きを隠さない。
 「昔は末期になって初めてモルヒネを使う。それまでは我慢するしかなかったわけで、患者さんは気の毒でした」
 しかし、このコーナーでも繰り返し述べてきたとおり、WHOのがん疼痛管理ラダーが取り入れられてから、臨床現場における痛みへの取り組みは劇的に変化した。
 「医療用麻薬の種類が増えただけでなく、その使い方にバリエーションが出てきた。基本的な疼痛除去の進め方はラダーに沿って行うが、患者個別の症状に柔軟に対応できるようななった点でも隔世の感があります」と久保田医師。中でもがんの痛みに対する医療用麻薬の使用量には制限がなく、徹底的に痛みを取り去ることができるようになったことを高く評価する。
 「医療用とはいえ“麻薬”という言葉に対する不信感は、患者だけでなく医療側にもあったが、その安全性が認められたことで効果を追求することができるようになった。がん患者にとって、痛みの問題は重大ですから……」
 以前は注射薬しかなかったところに経口薬が登場し、いまはパッチタイプの痛み止めも開発された。久保田医師のいう「患者の状況に応じた疼痛管理」が実践できる現在の状況は、患者はもちろんだが、がんと闘う臨床医にとっても歓迎すべきことなのだ。

がんを宣告されて元気でいられる人はいない
それでも「気の持ちよう」で予後に差が出る
 がんの痛みにはいくつかの分類がある。骨などに転移することで神経が刺激されて起こる「体性通」、膵がんのようにがんが後腹膜に浸潤することで起こる「神経障害痛」、臓器そのものが発するじわっとした痛みが特徴の「内臓痛」などだ。しかし、久保田医師はこれに加えて「精神的な痛み」の存在を重視する。
 「器質的な痛みに関しては各種医療用麻薬や、初期段階ではNSAIDsやコデインなどの比較的軽めの薬もあるので、これらを使うことでほぼ完全に制圧が可能。もちろん吐き気や便秘などの副作用へのフォローは必要ですが、それを怠らなければ痛みは消せます。ただ、精神的な問題が元で起きている痛みには、別のアプローチからの対策が必要になってくる。これこそ患者の性格に応じた対応が必要になってくる」と久保田医師。
 「がんと言われて元気でいられる人はいませんが、それでも気の持ち方でその後の療養生活は大きく違ってきます。目的をもって気丈にふるまう人は治療効果も現れやすいのですが、塞ぎ込んでしまうと、それがストレスになってさらに免疫力を下げてしまう。免疫力が下がるとがんの進行を早めるだけでなく、感染症など別の病気にかかりやすくなる。私の見る限りでは、気の持ち方の違いだけでも、痛みの出方に大きな差があり、その差は予後の成績や生存率にも直結しているように思います」
 そう語る久保田医師が、ある一人の患者の例を話してくれた。


ストレスは“痛み”という手段で己の存在を表現する
それを無視して本当の疼痛コントロールはできない

 70歳代後半で早期の胃がんと診断されたKさん(男性)は、がんと聞いただけでショックを受けて真っ青になってしまった。といってもそのがんは内視鏡で取れる程度の小さなもので、事実内視鏡できれいに切除できたのだ。しかし心配症のKさんはそれを聞いても安心しない。それどころか「胃が痛い」「別の場所にも痛みがある」「転移したに違いない」と怯えるばかり。Kさんのいう“症状”に合わせて検査をしても何ら異常は見つからず、久保田医師は、精神的な要因による痛みと判断した。
 家族の話では、がんと分かって以来食事ものどを通らない様子で、大好物の刺身にさえ手をつけなくなったという。がんが治った今となってはそちらのほうが心配だ。そこで久保田医師はこう言った。
 「Kさん、もう一度だけ検査をさせてください。それで問題がなければお祝いだ。私が保証するから奥さんとお鮨を食べに行ってください!」
 この日からKさんはガラッと変わった。“痛み”はなくなり食欲も出てきた。そもそもこの時点でKさんはがん患者ではないので、痛みが出るはずはないのだが、精神的な不安が“痛み”という表現手段を使ってKさんを苦しめていたのだ。
 「医者はつい『問題はないんだから痛いはずはない』と言ってしまいがちですが、患者は実際に“痛み”を感じているんです。それをきちんと受け止めてあげるだけでもその後のQOLは大幅に違ってくる。繰り返しますが、器質的な痛みは医療用麻薬で取り去ることができます。問題なのはそれ以外の痛み。これからは精神的な問題にも、治療段階で取り組むべきでしょう」
 久保田医師の外来からは、常に笑い声が聞こえてくる。患者の肩を叩いて励ます久保田医師の笑顔を見たくて通院する患者も多い。あれから10年が過ぎ、例のKさんは今も三カ月に一度、定期検査を受けに久保田医師の元を訪れる。自転車をこいで、笑いながらやって来る。


■キッコーマン総合病院
〒278-0005 千葉県野田市宮崎100番地
電話0471-23-5911

http://www.kikkoman.co.jp/hospital/

取材・文◎医療ジャーナリスト・長田昭二
1965年東京生まれ。日本大学農獣医学部を卒業後、出版社勤務を経て2000年よりフリー。新聞、雑誌を中心に医療記事を執筆。著書に「病院選びに迷うとき 名医と出会うコツ」(NHK出版・生活人新書)他。日本医学ジャーナリスト協会会員。




クローズアップ

『いわゆる混合診療の法解釈論』

井上 清成(弁護士)

(2009年11月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会)

1 混合診療という不適切な用語

 混合診療という法令の明文はない。
 混合診療というと、混ぜ物(雑ぜ物)というイメージがつきまとう。その語感をもと
に議論すると、ともすれば感情的な議論になってしまうかも知れない。
 そこで、併用療養のような法令に基づく用語での分析と議論をした方がよいと思う。


2 併用療養は併合療養

 健康保険法第86条に保険外併用療養費制度の定めがある。「併用療養」という用語
が登場するが、この用語は厚生労働省がかねてから主張している「不可分一体論」に基
づく。「医療行為は、様々な作用を及ぼす侵襲行為であるから、複数の医療行為を行う
場合には、複雑な相互作用を生じさせるおそれがあり、これを単純に複数の医療行為が
併存しているとみることができず、複数の医療行為を併せて不可分一体の1つの新たな
医療行為がされているとみるべきである」というのが不可分一体論である。
 不可分一体論を表現するならば、「併用」よりも「併合」の方が直截的であろう。併
用療養とは、併合療養のことなのである。


3 併存療養もしくは追加療養

 しかし、「単純に複数の医療行為が併存している」場合もあるかも知れない。もしも
そうだとしたら、それは併存療養もしくは併行療養と表現するのがよいように思う。健
康保険法上の「療養の給付」に上乗せする意味も込めるとすれば、むしろ追加療養もし
くは付加療養と称する方がわかりやすい。
 併存療養にしても追加療養にしても、法令に明文がないのは大前提である。ただ、こ
れらの用語は、不可分一体論に対比して、可分なものであることを表現するのに適切だ
と思う。


4 不可分型と可分型

 まとめると、併用(併合)療養は不可分型を意味しており、併存(追加)療養は可分
型を意味している。理念型としては、不可分型と可分型が存在しうるといってよいと思
う。
 問題は、現実に、可分型が存在するかどうかである。まず検討すべきものとしては、
産科における異常分娩があろう。出産における正常分娩は自由診療(保険外診療)であ
ることは争いがない。ところが、それが異常分娩になったり、帝王切開になったりすれ
ば、保険診療(療養の給付)が入り込む。すると、その場合は、自由診療と保険診療の
可分型と評しうるようにも思う。
 

5 LAK療法は可分型か

 インターフェロン療法とLAK療法とを併せた場合に、インターフェロン療法の分だけ
には保険適用すべきかどうかが争われている裁判が、現在、最高裁判所に係属している。
東京地方裁判所(平成19年11月7日判決)では保険適用を認めたが、東京高等裁判
所(平成21年9月29日判決)はこれを否定した。いわゆる混合診療問題の今後に大
きな影響を与える訴訟として、最高裁判所の判断が注目されている。
 論理的には、2つの見方がありえよう。
 1つは、診察検査等とインターフェロン療法で完結しているところに、単にLAK療法
を上乗せするに過ぎないから、可分型と見るものである。一審の東京地方裁判所の物の
見方は、このようなものであろう。
 もう1つは、診察検査等とインターフェロン療法という系列と、診察検査等(これは
インターフェロン療法の前提となったものと同一)とLAK療法という系列とが、2つ重
なっているのだから、診察検査等とLAK療法とはやはり不可分だというものである。お
そらく二審の東京高等裁判所はこのような大前提に立っているのだろうが、判決で可
分・不可分には何ら触れられていない。
 後者は正確には重畳型とでも称しうるものであろうから、不可分とも見うるし、可分
とも見うる。少なくとも論理的にどちらだと断言する決め手はないように思う。


6 国民皆保険制維持という立法趣旨

 いわゆる混合診療禁止の立法趣旨は、まず何といっても、国民皆保険制の維持である。
国民皆保険制は、憲法第25条の生存権の健康的側面に関わるものであるから、この点
には争いはあるまい。
 もしも混合診療を全面解禁すると、保険診療に自由診療(保険外診療)を組み合わせ
ることによって、容易に「保険診療のつまみ食い」が可能になる。「保険診療のつまみ
食い」がまん延すれば、それでなくとも財源が苦しい国民皆保険制は、あっという間に
崩壊してしまう。
 国民皆保険制は何としても維持しなければならないのだから、この立法趣旨は合理的
である。そして、不可分型については、「保険診療のつまみ食い禁止」の立法趣旨がよ
く当てはまるであろう。
 しかし、可分型については当てはまらない。また、重畳型については、その実質が可
分型的か不可分型的かによって判断が異なろう。ただ、LAK療法を巡るいわゆる混合診
療裁判においては、東京地方裁判所も東京高等裁判所もその実質を何ら審理していない。
最高裁判所では、重畳型たるLAK療法の実質に着目した判断が期待されよう。


7 医療の安全性という立法趣旨

 医療の安全性ということも、いわゆる混合診療禁止の立法趣旨としていわれることが
ある。しかし、この立法趣旨は、混合診療という用語の「混ぜ物」(雑ぜ物)というイ
メージにひきずられたものに過ぎない。
 可分型または可分型の実質を有する重畳型に適用されるべき立法趣旨ではないと思
う。
 保険診療であろうと自由診療であろうと、医療の安全性は保たれねばならない。医療
の安全性は、保険診療であっても自由診療であっても、医師法や医療法を通じて規律さ
れねばならないし、現に規律されている。もちろん、保険診療については健康保険法で
も規律されよう。自由診療(保険外診療)が保険診療部分に悪い影響を与えている混合
診療の場合には、その保険診療部分に対する規制だけによって、立法趣旨を十分に達成
できる。
 つまり、医療の安全性という立法趣旨(立法目的)と、混合診療禁止という立法目的
の達成手段との間には、十分な関連性がないと思う。



8 保険外併用療養費制度の反対解釈

 いわゆる混合診療禁止の法理は保険外併用療養費制度の反対解釈によって認められ
るという論理がある。現に、いわゆる混合診療裁判の東京高等裁判所の判決で採用され
た。 
 しかし、保険外併用療養費制度の反対解釈ということは、すなわち、保険外併用療養
費制度がいわゆる混合診療のすべての型を踏まえた上で制限列挙(限定列挙)したとい
うことを意味する。評価療養と選定療養は、すべての型を踏まえて制限列挙したことに
なってしまう。けれども、そもそも厚生労働省がかねてより主張している通り、保険外
併用療養費制度(評価療養と選定療養)は不可分型を大前提としていた。
 もしも可分型や可分型の実質を有する重畳型が存在しているとしたならば、その大前
提が崩れてしまう。より正解にいえば、その反対解釈や制限列挙の範囲外になる。
 したがって、東京高等裁判所の反対解釈論には論理の飛躍があると評しえよう。ちな
みに、東京高等裁判所の反対解釈論においては、不可分一体論の当否については何らの
判断もなされなかった。


9 保険診療中心型と自由診療中心型

 ところで、いわゆる混合診療には、別の観点からの分類も可能であるように思う。保
険診療と自由診療とでどちらが主になっているのか、という観点である。保険診療中心
型と自由診療中心型といってよいであろう。既に述べた不可分型と可分型とを組み合わ
せると、4種類に分けられる。
 そのうち、自由診療中心で不可分の型こそが、正に、混合診療禁止の中核といってよ
い。保険診療のつまみ食いが、顕著に見られる型だからである。もちろん、立法目的達
成手段の実質的関連性には疑問があるが、医療の安全性の側面でも最も注視せねばなら
ない型であろう。
 次に、自由診療中心で可分型と思われるのは、出産における異常分娩のケースである。
なお、「中心」かどうかについては、目的と結果(費用の大小も含む)の総合判断で決
めることになろう。そのため、必ずしも区分が一義的に明確でないことも多い。



10 保険診療中心型は憲法上の要請

 保険診療中心型には、いろいろな問題が発生する。まず、不可分型について見れば、
評価療養に取り込まれていない諸ケースが挙げられよう。未承認薬の問題であったり、
適応外使用の問題であったり、枚挙にいとまがない。原則論としては、民主党マニフェ
ストの詳細版(新しい医療技術、医薬品の保険適用の迅速化)のとおりであろう。ただ、
このことは単なる政策論や法律論にとどまるものではない。憲法第25条の生存権の健
康的側面という憲法上の要請でもある。
 国家は、憲法25条の趣旨を敷えんして国民皆保険制をつくった。この制度的保障に
より逆に、公的医療の受給を受ける国民の利益の権利性も強まったといえよう。これが
公的医療受給権という具体的な権利といえるかどうかはともかくとして、保険診療を可
及的に拡大することは憲法上の要請といってよい。
 なお、保険診療中心かどうかは、現行法上の保険診療の区分ではなく、憲法上のある
べき保険診療の区分であるかどうかで判断すべきであろう。そうすると、評価療養とい
う位置付けは、恒久的なものではなく暫定的に過ぎず、可及的速やかに保険適用に移行
しなければならない。現在はまだ評価療養にすら入っていないものでも、可及的速やか
に評価療養に組み込まれなければならないものであろう。これらが相当期間を経過して
も組み入れられなければ、違憲状態もしくは違法状態になるといってよい。
 少なくとも、評価療養という一般的制度にとどまらず、許可制という個別的制度を導
入して、個別的に患者を救済することが望まれよう。


11 選定療養への駆逐は論外

 医療費抑制政策が行われていた時期においては、むしろ全く逆のことも行われてきた。
それは、従来は保険適用が認められていた部分を削って、選定療養へ放逐したケースで
ある。リハビリテーションの日数を制限し、制限日数以上は選定療養にしてしまった事
例は、典型であろう。
 このような事例は、政策論や単なる法律論にとどまることなく、憲法論も加味した検
証が必要である。
 なお、既に述べたLAK療法も同様の経過を辿った。かつては特定療養費制度(今の
評価療養)の対象であったものが、有効性が証明されないとして外されたのである。


12 保険診療中心かつ可分な型―追加療養

 現在の保険外併用療養費制度の対象は、不可分型であり、かつ、保険診療中心型とい
ってよい。そして、LAK療法を巡る問題は、可分型かどうかの争いであったが、保険
診療中心型でもあろう。インターフェロン療法を中心とし、そこにLAK療法を上乗せ
しようというものだからである。
 こうして見ると、LAK療法を巡る問題は、正しく、追加療養(付加療養)の問題と
いってよい。
 保険外併用療養費制度の反対解釈などという小手先の法解釈に拠らず、端的に、健康
保険受給権を患者に認めるのが正統な法解釈であろう。
 ただ、立法論的には、いくら保険診療中心・可分型の追加療養だとはいっても、野放
図に混合診療解禁的な流れになるのは必ずしも好ましくない。一旦、脱法的な手法が横
行すれば、国民皆保険制が一気に崩壊しかねないという重大なリスクがあるからである、
他方、公的医療受給権という患者の重要な権利もしくは利益も尊重しなければならない。
そうすると、追加療養の場合には、(許可制よりも自由度は高い)届出制を採用するこ
とも考えてよいように思われる。


13 最後に―立法の不備

 いわゆる混合診療を巡る法解釈の混乱は、立法の不備に由来しているといえよう。健
康保険法を改正して保険外併用療養費制度を導入した際に、混合診療を禁ずる旨の条項
を挿入することは法技術的に極めて容易にできたからである。
 たとえば、一例として挙げれば、他の法令による保険給付との調整を定めた健康保険
法第55条のすぐ後ろに、、追加規定を挿入することも可能であった。第55条の2を
新設して、「被保険者に係る療養の給付は、同一の疾病又は負傷について、厚生労働大
臣が定める以外の特殊な療法もしくは新しい療法等を、又は、厚生労働大臣が定める以
外の医薬品の施用もしくは処方を被保険者が受けた場合には、行わない。」などと定め
るだけでよかったのである。
 そうして見ると、逆に、健康保険法の趣旨はすべての混合診療までを禁ずるものでは
ない、とも解釈しえよう。
 いずれにしても、いわゆる混合診療を巡る法的議論は必ずしも詰めきったものとはい
えない。近く最高裁判所がいずれかの結論を出すであろうが、それはそれとして、また
は、むしろそれを契機として、ともすればタブー視されがちであった混合診療について
開かれた十分な議論をした上で、きちんと立法し直すべきであろう。





クローズアップ

ボストン便り

7回目 『保健医療や生活に関する話題』

ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー博士(社会学)
細田美和子(ほそだ みわこ)


(2009年11月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会)

略歴:ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。


ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

■「国家と市民社会、そして健康」

あなた方の力


 11月7日の深夜11時15分に、アメリカ下院がヘルスケア改革関連法案を賛成多数で可決させた数時間後、オバマ大統領から支援団体「オーガナイジング・フォー・アメリカ」の会員に向けて一通のメイルが届きました。
「これ(法案可決)は歴史的なことです。しかしあなた方支援者は、今夜の歴史の目撃者というだけではありません。あなた方がそれを成し遂げたのです。(中略)あなた方は立ち上がった。あなた方は声を上げた。そして、その声が聞き届けられたのです。」
 オバマ大統領はこのように書いて、この法案可決は下院議員や大統領の力によってではなく、彼が「あなた方」と呼びかけた市民の力によってなされたのだということを強調しました。
 このことは、市民社会が国家のあり方に対して決定権を行使したことと言い換えられ、確かにまれに見る偉業であると理解できます。


国家と市民社会

 国家(State)と市民社会(Civil Society)。一見するとなんとなく似ているように思われるものですが、社会学において両者はまったく別のもの、それどころか対立する概念と考えられています。
 まず国家のほうですが、例えばマックス・ウェーバーによれば国家とは、警察や軍隊などの暴力装置を正当的(合法的)に独占し、官僚や議員など統治組織の維持そのものを職業とする専門家によって構成されている、領土や人民を統治支配する政治的共同体と捉えられます。日本においては、行政機関(各官庁)、行政機関(国会)、司法機関(裁判所)などが国家を成立させる組織であるといえます。
 これに対して市民社会というのは、国家や市場や家族とは区別される、自発的な市民からなる組織集団のことです。ユルゲン・ハバーマスは、人間の生活の中で他者や社会と相互に係わり合いを持つ時間や空間、制度的空間と私的空間の間に介在する領域を公共圏と概念化しましたが、市民社会は公共圏に位置しているといえます。例えば市民組織、地域組織、社会運動、慈善団体、NPO/NGO、互助集団などといった組織集団は、市民社会を形成している要素だといえます。
 さて、国家と市民社会の関係ですが、一般に国家は統治組織として市民社会を抑圧して支配しようとするし、市民社会のほうは支配から逃れて自由な公共空間を確保しようとします。それゆえ、両者は緊張した関係にあると考えられています。
 ただ、こうした緊張関係の中でこそ、そこに住む人々の暮らしや健康が守られるという仕組みになっていることも指摘されています。国家は制度を制定し運営することで、人々の安全を保障しようとします。しかしその制度が人々の実情にあっていないような時、市民社会は異議申し立てをして制度の撤廃や変更、新制度の制定を迫ります。
 こうした市民社会の異議申し立ては、国家に制度を変革させることもあるし、国家が制度を堅持することもあります。その可否は、その国における国家の市民社会のあり方、その他諸々の条件によって変わってきます。
 そして国家と市民社会の間に緊張関係がなく、どちらかにバランスが傾いた場合――通常は国家が強大な権力を持つことになるので、その場合――、人々の生活にはさまざまな問題が生じてきます。以下では、特に健康という視点から二つの国を例にして、市民社会が脆弱で国家が巨大な権力を持つ国において、人々の健康が脅かされているという問題を見てゆきたいと思います。


「クロッシング」

 先日、「健康と人権問題研究会」というハーバード公衆衛生大学院の学生組織の主催する「クロッシング」という映画の上映会があったので、見に行ってきました。この作品は、アカデミー賞外国語映画賞部門の韓国代表作品に選ばれたもので、2009年春には日本でも公開され、「祈りの大地」という副題がついています。
 内容はというと、やむにやまれぬ事情から北朝鮮から中国に密入国せざるを得なかった、いわゆる「脱北者」の家族の物語でした。その事情とは、結核を罹った妊娠中の妻のため、北朝鮮では手に入らない薬を中国に求めに行く、というものでした。夫は中国に渡った後、脱北支援組織の手引きで韓国に行くことになります。
 そして韓国では、求めていた薬は無料で配られていることに愕然とします。しかし薬が手に入ったその時には、妻は既に亡くなっていたのです。
 映画では、食べ物にも事欠く貧しい庶民の生活、聖書を家に隠しておいたという理由で夜中に連行される別の一家の様子、当局に見つかった脱北者への過酷な刑罰といった描写が次々に続きます。特に、脱北者を収監する刑務所では、劣悪な環境の元での強制労働が強要され、ひとたび病気や怪我で労働できなくなると、隔離され食事も与えられなくなり、衰弱死を待つばかりとなってしまうのです。
 この映画を見ていろんな感想を持ちましたが、暴力装置をもって統治しようとする国家に対抗できる市民社会の存在が許されないところで、人々は健康に暮らすことができないのだと改めて強く思いました。そして、映画上映を通じて健康と人権について啓発活動を行っている学生組織は、市民社会の力となってゆくだろうと感じました。


イスラエルのアラブ人

 国家による抑圧が、人々の健康を蝕んでいると思わされるもうひとつの例として、イスラエルからやってきた新しい同僚の研究を紹介します。
 彼も私と同様に社会学を学問的背景として持っており、「少数者集団におけるリスクと健康格差を生む社会的メカニズム:抵抗という視点からの交通事故」というテーマで研究をしています。ここで少数者集団というのはイスラエルに住むアラブ系の人々のことで、彼らが運転者として自ら致死的な交通事故を起こす確率は、多数者であるユダヤ系イスラエル人と比較して有意に高い(約1.5倍)というのです。ちなみにこの同僚は、ユダヤ系イスラエル人です。
 イスラエルという国の中で、アラブ系の人々がスピードの出しすぎや一時停止の標識で止まらないといった重大事故につながる行動をとるのは、日頃の抑圧への抵抗からなのだと彼は分析します。国家によって定められ、取り締まられている道路交通法に従わないことが、アラブ系イスラエル人が自分のアイデンティティを承認する手段となっていて、その結果、重症を負ったり時には死に至るほど健康が蝕まれているというのです。
 周知のとおり、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を巡ってアラブ系のパレスチナと激しく対立しています。しかし、イスラエルには全人口の約20パーセントにあたるアラブ系市民がいます。市民ですから選挙権もあり、アラブ系の国会議員も選出されていますが、アラブ系に対する厳しい偏見や差別は国中のいろいろなところに見て取れるといいます。
 学校教育は、ユダヤ系とアラブ系では言語が異なるので高校までは分かれており、大学で統一されますが、アラブ系の大学進学率は低く、就職においても不利で、収入は低いということです。
 ただし、こうした状況を改善しようとするユダヤ系イスラエル人も少なからずいるとの話も彼から聞きました。ユダヤ系と比べてアラブ系の出生率が高いので、将来的には国民の人口構造が変わるということもひとつの理由なのかもしれませんが、歴史的に見ても、この地に住むアラブ系とユダヤ人は共存共栄を目指していたということです。
 同僚の弁によると、極右が牛耳っているイスラエル国家は入植を続けていますが、85パーセントのイスラエルの市民は、西岸とガザはパレスチナに引き渡すことにして問題の平和的解決を望んでいるといいます。しかも、地理的に離れた西岸とガザは地下トンネルか橋で結んで、パレスチナの人々が容易に行き来できるようにすればよいとも言われているとのことです。
 しかし現実にはイスラエル国家による抑圧は続き、アラブ系イスラエル人の致死的事故が高い確率で生じています。このことも、強大な国家に対して市民社会が脆弱なとき、人々の健康が脅かされることを示しています。
 それでもユダヤ系イスラエル人の彼が、これを問題化して、アラブ系イスラエル人が抑圧を感じないような社会を作ることに貢献しようとしている姿は、イスラエルにおける市民社会に希望を感じさせてくれます。


市民社会と国家の協働

 アメリカのヘルスケア改革に話を戻しますと、今は上院での審議に関心が移っています。改革法案は下院で可決されたとはいっても、賛成が220票だったのに対し、反対が215票とわずか5票差なので、行き先は未だ不透明です。
 というのも、共和党だけでなく民主党の中にも、公的保険制度の導入で国家の関与が強まることに慎重な意見が強いというのです。改革法が導入すれば真っ先に困ることになる莫大な資本力を持つ保険会社が、議員に対して猛烈なロビー活動をしかけてきているからです。このような状況を危惧したかのように、冒頭で紹介したオバマ大統領のメイルはこう続きます。
「昨年の選挙の後でさえ、たくさんの熱狂的なロビー活動者や党員たちは、古いお決まりのやり方でワシントンと癒着し、特別なお金を動かしながら、いまだに自分たちの気に食わない法案は通さないことができると本当に思っていました。今、もはや彼らはその見込みはないと思っているでしょう。なぜなら、今夜、古いルールは変えられ、人々の存在はもはや無視できないということを、あなた方がはっきりさせたのですから。」
 9月の両院議員総会で演説したとき、オバマ大統領はヘルスケア改革は「社会的正義」であり、この改革が実現されるかどうかでアメリカ人が道徳心ある公共的精神の持ち主であるかどうかが判断されると言いました。そして今回、市民社会は改革を求めているのだから、改革実現の可否は議員たちが特定の利益団体(主に保険会社)に惑わされないかどうかにかかっている、と言っているようでした。
 下院でのヘルスケア改革の議会通過は、市民社会の主張を国家が認めたという図式で理解できますが、さらにうがった見方をすれば、市民社会と国家が人々の健康を守るという共通善のために協働するというあり方の表れとも解釈できるのではないかと思います。


日本における国家と市民社会の行方

 日本は一般に、国家の力が強く市民社会が成熟していないと考えられています。メリーランド大学のシュリュー教授は、アメリカとドイツと日本の環境政策を比べて面白い分析を発表していますが、この研究は日本における国家と市民社会の関係を如実に示していると思われます。
 この分析によると、アメリカでは、巨大で高度に専門職化した環境NGOが、潤沢な資金によって環境調査研究を行い、他の利益団体と競合しながらワシントンの政治家に環境保護を訴えています。ドイツでは、環境団体が政党(「緑の党」など)そのものを作り、環境保護を求める市民の声を直接的に政治に結び付けています。
 日本では、環境NGOの力が弱いので、環境保護は、国際的共同体や国内団体や志あ
る政治家の支援を受けながら、環境省が何とかせざるをえないのです。
 この研究は環境政策を対象にしたものですが、同じことが保健医療政策にもそのまま当てはまるのではないかと思います。日本では、市民社会の側である患者団体
や医療者団体の力が、国家の側である厚生労働省に比べて弱いので、例えば2006
年のリハビリ診療報酬日数制限の撤廃運動で47万人の署名が集められたとしても、
診療報酬制度は何も変わりませんでした。
 私たち日本人は、この国家と市民社会の関係をどう受け止めたらいいでしょうか。問題があったらいずれは国家が何とかしてくれるのだから、市民社会は弱いままでもいい、と考えますか。
 それとも現状の問題を解決するため、国家と対抗できるように市民社会を鍛えてゆこう、と考えますか。北朝鮮とイスラエルの例は、国家が巨大になりすぎた時、市民の健康が犯されることを教えてくれましたが、日本は例外と考えていていいのでしょうか。

(参考文献)
・マックス・ウェーバー、1980、『職業としての政治』岩波文庫
・ユルゲン・ハーバーマス、1994、『公共性の構造転換ー市民社会のカテゴリーについての探究』未來社
・Schreurs, Miranda, 2002, Environmental Politics in Japan, Germany, and the United States, Cambridge University Press..
・Schwarts, Frank and Pharr, Susan (eds), 2003, The States of Civil Society in Japan, Cambridge University Press


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