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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
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週刊がん もっといい日
2011年Vol.278
12月1日更新


Vol.278の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ
●治療最前線
大日本仏教慈善会財団 あそか第2診療所「ビハーラクリニック」(京都府城陽市)
院長 馬場 祐康医師


●クローズ・アップ
最高裁判決を受けて〜人権後進国・日本(その3/3)
保険受給権確認訴訟原告がん患者 清郷 伸人
(2011年11月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp)


●セミナー・イベントのお知らせ

11年11月24日更新内容 全記事はこちら

「絆」という1文字がもつ意味は?

 いよいよ12月1日。2011年の最期の1か月間ですが、この1年間はどのような年だったでしょうか。昨日、ある国会議員を囲む会にお邪魔しました。発起人や来賓の祝辞の後、主賓の国会議員は以下のように述べられました。
 「これまで日本は災害に遭遇した諸外国を支援してきましたが、東日本大震災時では世界中からサポートの手が差し伸べられました。これからも私たちは、世界中の方々との絆を大切にしていかなければなりません」
 絆という字は、半分の糸が結びつき文字になっています。私たちは、この世に生まれるまでは母親のおなかのなかで育ち、へその緒としっかりと結ばれて、10月10日を経て誕生しますが、以後、育ってゆくなかで、たくさんの人達との絆づくりは大人になればなるほど、ますます重要になります。
 絆づくりは、いってみれば多くの人々との人脈づくりでもあります。半分の糸の先にはどのような人々と結ばれているかは分かりません。「私たちは生まれたときから赤い糸で結ばれていた」とは良く聞く話です。
 そういった意味で、がんという疾患を考えてみると、私たちとは深い絆で結ばれて欲しくはありませんが、「共存共栄」は出来ると思います。いわば、がんは私たちの生命存続のための同士のようでもあり、がんという同士の力が強くなると、病は重くなりますが、大切なことは、がんという疾患を熟知して、運命共同体としていかに「共存共栄」していくかが重要な鍵でもあります。
 そのためにも、自己免疫を落とさない、常に免疫力を強くする生活習慣を実行することが大切になります。その方法は、がんに罹患した人のリスクを、どう良い方向に結びつけるかにあります。そのためにも、自分の体を診ていただく医師をはじめ看護師、薬剤師、栄養士など、むろん家族も含めて日ごろから良い絆づくりが重要なことはいうまでもありません。
 先の国会議員は、12月12日の漢字の日に公表される新しい1文字が、「絆」であってほしいと話していました。絆―この1文字は多くの人々の生活に生かされていることを改めて認識し、2012年にはさらに新しい絆づくりを開始しましょう。

 さて今週もまた、皆様にとって「もっといい日」でありますように・・・。

『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道





☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.278☆☆☆


治療最前線

大日本仏教慈善会財団 あそか第2診療所
「ビハーラクリニック」(京都府城陽市)

院長 馬場 祐康医師

馬場祐康医師

1962年岩手県二戸市生まれ。88年自治医科大学卒業。岩手県立釜石病院、同住田病院、洋野町国保大野診療所、盛岡赤十字病院、薬師山病院等勤務を経て、2011年4月より現職。日本外科学会専門医、日本救急学会専門医、ICD、日本緩和医療学会暫定指導医他。

「見えるもの」から「見えないもの」へ――
視点を変えて挑む“ビハーラ”での緩和ケア


以前小欄で「日本型終末期医療」に取り組む緩和ケア専門医を取り上げた。今回は仏教に根差した宗教的ケアを取り入れた緩和ケア専門クリニックで、終末期医療にあたる医師を紹介する。京都府城陽市にある「あそか第2診療所」は、浄土真宗本願寺派が運営母体のホスピス専門の有床診療所。医師や看護師などの医療スタッフの他に「僧侶」が常駐し、患者の精神的な悩みの相談に乗っている。ここの院長を務める馬場祐康医師は、消化器外科出身の緩和ケア医。「手術の限界」を知る身だからこそ見える「真の終末期医療」の姿を追い求めて、新たな挑戦が始まった。

手術で救えない命に対して
医師としてできることは……


 京都府の南部、京都市と奈良市のほぼ中間にある城陽市。ここに3年前誕生した大日本仏教慈善会財団あそか第2診療所は、その名前からも分かる通り仏教的支援を柱に据えた医療施設。浄土真宗本願寺派(西本願寺)を母体とし、京都市下京区の同寺院敷地内にある「第1診療所」が一般診療を行うのに対し、「第2診療所」ではがんの終末期医療を専門に行う、いわゆる「仏教ホスピス」として設立された。キリスト教に由来する「ホスピス」という言葉に対して、仏教系の緩和ケア施設を「ビハーラ」とよぶ。このクリニックの愛称も「ビハーラクリニック」だ。
 19床の病床(実働病床は13床)を持つ同クリニックは、母体が仏教教団というだけで患者に信仰上の制限はない。真宗の信徒であろうとなかろうと、クリニックの趣旨を理解する人であれば入院可能だ。朝夕の勤行が行われる仏間以外に宗教的色彩を放つ施設は見当たらない。陽光が豊富に差し込む明るい設計の近代的なクリニックだ。
 今年(2011年)4月からここの院長を務める馬場祐康医師は、自治医科大学を卒業後、出身地である岩手県内の医療機関に勤務し、消化器外科医としてメスを握っていた。しかし、手術に明け暮れる日々の中で、外科医の限界を感じるようになる。
 「手術ですべての患者を救えるならいいが、決してそうとは限らない。手術で助けられない時、医師としてできることは何なのか、という思いが、常に頭の片隅にあったのは確かです」
 宇宙の不思議、そこに人間が存在することの不思議――。
外科という「目に見えるもの」を対象とする医療に従事してきた反動もあり、そうではない、「目に見えないもの」を意識したケアの必要性に思いが行くようになっていく。
 こうしたことを背景に、徐々に緩和ケアの世界に興味を持つようになった馬場医師は、勤めていた病院で緩和ケア科を担当するようになる。その研修で大阪に来たことから関西に縁ができたことから京都市内の病院を経て、現在のクリニックの院長として着任した。
 「外科医としてすべきことはしたという達成感はあるし、体力的に見ても後進に道を譲る時期が近いことは感じていました。何より医師として新しいことに挑戦するなら40代のうちに――という思いが強かった。その意味で、経験を活かしてチャレンジの場として、最高の舞台を用意してもらえたと思っています」

身近なお坊さんが存在する
ここでしかできない医療


 外科医出身の緩和ケア医として再スタートした馬場医師。日本緩和医療学会暫定指導医として、医学生、看護学生の見学研修、臨地実習教育を、すでに実施しており、また10月より、同学会の認定研修施設のクリニックとして研修医師の受け入れ態勢も整った。
 「緩和ケアを導入する病院は増えたとはいえ、エビデンスを正しく理解して積極的な疼痛コントロールが行われている医療機関はまだ少ない。これは緩和ケアの専門医が圧倒的に足りていない証拠です」
 そう語る馬場医師が示してくれた学術誌のコピーがある。肺がんの患者を2群に分け、一方には化学療法のみ、もう一方には化学療法と緩和ケアを併用した治療を行ったところ、前者よりも後者のグループのほうが有意差を持って延命効果が表れた――という内容のレポートだ。
 「緩和ケアというと単に痛みを和らげるだけのケア――と考えている人は医者の中にも少なくない。しかし、きちんと痛みを取ることで治療をアシストできるし、痛みをなくすことで“次のステップ”が生まれてくるのもまた事実。だからこそ我々緩和ケア医はもっと積極的にがん治療の最前線に出ていき、自身を持って、エビデンスに基づいた疼痛管理をしていくべきなんです」
 がんの痛みを取るテクニックは、有効性と安全性に優れたオピオイドなどを効果的に使っていくことになるが、馬場医師のクリニックにはもう一つの強い武器がある。それが「仏教的サポート」だ。
 クリニックに常駐する僧侶は、朝夕の勤行以外は特に決まった宗教行事を執り行うわけでもなく、他のスタッフと一緒に、普段着姿で様々な作業(庭の草むしりや院内の飾りつけなど)に従事している。患者はいつでも気が向いた時に僧侶に話しかけることができ、僧侶も話し相手になる。身近に迫った死についての解釈を問われることもあれば、残される家族を不安に思う気持ちを吐露することもある。
 こうしたことは患者の信仰の有無に関係なく、宗教者、というよりもっと身近な存在である“お坊さん”だからこそ相談できることであり、そうした職種を持つ医療機関ならではの強味でもある。
 「お坊さんたちの患者さんとの接し方は我々医者などは逆立ちしても敵わないほど素晴らしいし、見ていて感動的でさえある。そしてそこで生まれるコミュニケーションは、薬以外の効果をもって患者に安らぎを与えているんです。これはここでしかできない医療ですよ」
 西本願寺が今年「親鸞聖人第750回大遠忌」にあたって制定したキャッチフレーズは「世のなか安穏なれ」――。このフレーズはそのままクリニックの中に満ち溢れている。馬場医師の温和な笑顔とともに、ゆったりとした時間が悠久のかなたから流れてくるようだ。


※あそか第2診療所「ビハーラクリニック」からのお知らせ

2012年の「病院化」が決定した同クリニックでは現在、理念に共鳴する医師やスタッフを募集している。



クローズ・アップ

最高裁判決を受けて〜人権後進国・日本(その3/3)

保険受給権確認訴訟原告がん患者 清郷 伸人

(2011年11月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp

(その2/3より続き)

4.混合診療について考える

 最後に、裁判を離れて混合診療について私なりに考えたことを述べる。
 私の訴訟は世間では混合診療解禁裁判一色に染め上げられてしまったが、再三述べるように、請求の本質は混合診療の解禁ではない。私の訴えは混合診療においても健康保険受給権はあるはずだというもので、解禁はその主張が通ったら派生的にもたらされるかもしれないものである。
 しかしまだ療担規則18条、19条がある。保険医、保険医療機関は厚労大臣の定めた医療、医薬品以外提供してはならないのである。その意味で、混合診療禁止は必要で合理的な政策だから私の請求を却下するという判決は的はずれである。
 私は禁止を問題にしているのではなく、患者の保険受給権取り消しという禁止のための手段が合理的か、合憲かを問うているのである。極言すれば禁止を破ったら死刑に処すというペナルティは合理的で合憲かということである。

 一方、混合診療については、私は患者としてそれを自由に選べることを求める。私が良心的な主治医の混合診療のおかげで蝶形骨や頸骨への転移後10年経った今でも元気だからではない。たとえその効果がなく、倒れても混合診療を受けたことを納得するだろう。もともと奏功率が低いのは承知の上である。
 また私の場合は違ったが治療の大きなリスクも覚悟する。転移した腎がんの残り少ない治療の中から主治医と私はLAK療法を選択し、チャレンジしたのである。効果が期待できる治療があるのに国の制度で使えないといわれ、末期の烙印を押されるなど耐え難い侮辱である。

 このように混合診療には患者にとって治療の選択肢が広がるというベネフィットがある反面、重大なリスクも考えられる。最も多くいわれるのは国民皆保険が崩壊するというものである。
 その内容は、保険証1枚で時間、場所を問わず平等に医療を受けられるシステムが貧富の差で壊れる、不当に高い患者負担が発生する、安全性や有効性に疑問のつく医療がはびこる、保険収載しなくなる、財政が悪化するなどというものである。

 しかし、混合診療を認めている国民皆保険の先進国は英国、ドイツ、フランス、オーストラリア、韓国ほか数多くある。国情による違いは多少あるだろうが、それらの国で皆保険が崩壊したという話は聞かない。よく聞くのは財政事情が厳しいのはどこも共通で、社会福祉である国民皆保険による公的医療と自由価格のビジネス医療の2本が並立しているという医療制度である。だが、そのことで文句をいう人はいないそうである。
 いずれにせよわが国では、混合診療を導入すると国民皆保険制度が壊れると口をそろえていわれるので、その内容を検討してみる。

(1)混合診療を導入すると医療の平等性は本当に毀損されるのか

 たしかに受ける医療内容と費用に差は出るが、医療のアクセスに差はない。JRを利用するのに普通車とグリーン車では料金は違うが乗車に差はないのと同じである。またグリーン車があること自体が平等性の毀損だとすれば、その通りである。だがそれで皆保険が崩壊するかといえばノーである。
 現状でも高額な自由診療は誰でも受けられるし、保険医療機関における差額ベッド等多くの選定療養はグリーン車である。産科や歯科では混合診療は公認同然である。それでも皆保険に影響はない。そもそも治療は同じでなくてはならない、命の値段に差をつけてはならないという素朴な意見は残酷なパターナリズムである。
 貧血の者がいるから全員が貧血になるよう食事制限するようなものである。健康な人から栄養を奪う、能力のある患者の希望する医療を奪う偽善である。平等性をいうなら、私たちが本当に考えなければならないのは、栄養のある食事をする者を監視することではなく、食事もできない人のことである。
 保険料も払えず保険証を取り上げられ、窓口負担も払えないため医療から見放された数百万の人たちである。命の格差はすでに生じている。本当に平等にするならイギリスのように保険料も患者負担もなくして全部税金で賄うべきである。
 インド南部にいくつかの病院を持ち、年間250万人以上の患者を診察し、白内障を中心に30万人に手術をするアラビンド眼科病院の患者の半数は貧乏なので無料である。それでも寄付に頼らず経営を続けられるのは、徹底したコスト管理と支払い能力のある患者には市場価格でサービスを提供して大きな利益を稼いでいるからである。
 「私たちのモデルは小手先のテクニックで真似られるものではない。患者に向き合う良心があるかどうかの問題だ」(病院の医師)。このようにして病院は先進国の人しか手にすることのできなかった質の高い医療を新興国の貧困層にまで広げることに成功している。(大竹剛・日経ビジネスオンライン)

(2)混合診療が認められれば患者が不当に高い自由医療に誘導されるという懸念があるという

 確かにそういう悪質な医師もいる。だから私は混合診療全面解禁論ではない。限定され、選ばれた保険医療機関が公的なルールのもとで、倫理委員会等による自律的な厳正な手続きを経て混合診療を行う構想を描く。その公的なルールこそ叡智を集めて設計されなければならない。
 混合診療を実施する保険医療機関の要件や実施の要件、患者と医師のインフォームド・コンテントの記録さらにはルール違反の罰則などが定められる。しかし公的なルールも重要だが、最終的に混合診療の妥当性や安全性を担保するものは、病院や医師の自律的な機能しかないと考える。

 混合診療で怪しい治療が横行し、医療の安全性が脅かされるという懸念も理解できるが、本当だろうか。怪しいという情緒的な言葉は、私の裁判で国も多用したが曖昧な用語である。呪いとか祈祷の類なら医療ではない。医療機関はやらないだろう。では安全性の証明されない医療のことか。確かに保険承認された医療は有効性も安全性も保証されているはずである。
 しかし風邪薬や血圧降下剤のようなものは別として、がん等重病、難病の薬は有効性と安全性は二律背反である。抗がん剤はよく効くものほど正常な細胞を叩き、患者の免疫力を落とす。多くの薬害を起こしたのも重病、難病に有効な保険薬だった。

 医療はリスクとベネフィットという女神の秤に掛けられている。がん患者は数パーセントの治療の有効性を賭けて死ぬかもしれない副作用に挑むこともある。保険診療でさえそうならば混合診療における有効性と安全性の問題は、患者と向き合った病院の倫理委員会、医師の自律的検討による決定を俟たねばならない。
 患者と医師のその選択と決定に国が介入する必要はまったくない。医療者が治験のような慎重さで混合診療に対すれば、どこかの病院や診療所で安全性も考慮されない医療が行われるという懸念はないのである。

 患者が不当に高い自由診療に誘導されるという説も怪しい治療が横行し医療の安全性が脅かされるという説も医療者の性悪説であり、それを前提にすれば医療の自由と自律を奪う事前規制へと進まざるを得ない。
 これは真っ当な考えであろうか。上昌広東大医科研教授は、混合診療が一般化すると国民皆保険が崩壊するという説は仮説に過ぎない、その妥当性はデータに基づきアカデミズムで議論すべきだ、データがなければ「壺を買わないと祟りが来るぞ」と脅す霊感商法に近いという(MRIC)。 

 むしろ圧倒的多数の医療者の性善説を前提に医療に自由と自律を付与し、行政は厳格な事後検証を確立すべきである。いくら厳しい事前規制を行っても新薬では薬害をまったく防ぐことはできない。しかし、多くの薬害は事前規制だけ行われ、事後検証がまったくなされないことによって甚大化したものである。その方がはるかにリスクは高いのである。

(3)医師会も患者会も口を開けば必要な医療はすべて保険で行われるべきといい、厚労省は必要な医療は例外的な先進医療(評価療養)を除いてすべて保険で認められていると千篇一律のようにいう

 それは本当に正しい主張なのだろうか。医師会の主張は公定価格で標準治療の保険診療が最も楽に儲かるからである。開業医の平均年収2700万円、世襲率9割以上の事実が端的に表している。患者会は必要な薬のドラッグ・ラグ解消を保険承認に求める。医師会と患者会を同列には論じられないが、高齢化や医療の高度化とともにどちらの主張も保険財政の増大につながるものである。現に医療費は毎年1兆円以上増加し続け、2010年は36.6兆円という巨額なものになった。

 一方、厚労省は医療費のとめどない増大に危惧を抱く。医療費に自由診療は含まれないため高度先進医療もできるだけ保険承認したくない。評価療養にもしたくない。それによって先進医療が実施され、評価が進んで保険承認の声が高まることさえイヤなのである。患者にとって希望する医療が保険承認されることは悲願だが、先進医療や新薬は非常に高く、保険財政を強烈に圧迫する。とくに日本のように保険対象が非常に広く、皆保険一辺倒の国では八方美人の保険承認などできるはずがない。

 重要なことはこの構図は日本だけの現象ではないということである。先進国は程度な差こそあるが、医療費の高騰と財政の悪化という難題に直面している。ただ多くの先進国はこの問題を先送りせず、抜本的な改革を実施している。日本は経済成長鈍化に加えて少子化により社会保険の負担能力が落ちる一方、高齢化と医療高度化により医療費は高騰するという最も厳しい状況にある。年金と同じく医療も若い現役世代が高齢の受益世代を支えるという賦課方式を取っていると見ていいが、それが限界に近づいている。

 医療制度改革の方向を端的にいえば、厚生労働省は全国民の命に責任を持たなくていいということである。難病には人権という責任、感染病や流行病には公衆衛生という責任が伴うが、がんなどの慢性病は基本的に本人の問題であり、本人の意思と能力に負う部分があってもいい。
 すべての疾病に責任をとり、皆保険で解決しようとするから制度の破綻が近づく。日本の医師の技能は優れているが、勤務医の数や体制、病院経営、患者サービスといった医療制度が疲弊し、医療システムがガラパゴス化しているのは世界の常識となっている。

 当局はこれまで国民皆保険という公的医療を社会福祉という建前で提供してきたが、それは持続不可能であることを素直に表明すべきである。その建前が歴史的呪縛となって改革への身動きを押さえつけている。今後も先進国の医療水準を維持するための医療制度改革は、受診時定額負担制のような姑息な手段ではなく、国民皆保険による公的医療と任意の自費負担であるビジネス医療の並立という世界の常識の導入しかないことを国民に本音で説明する必要がある。
 国民皆保険のドイツでは自費で名医を指名することが公認されているが皆保険崩壊と騒がれることはない。日本でも差額ベッドや出産・がん検診・不妊治療などの自費診療は医療機関の大きな収益源となっている。それらが保険診療と併用されることも少なくないが、公認ではないため萎縮医療となる。

 政府は日本経済再生のための内需の成長分野として農業や医療・介護や保育・教育そして自然再生エネルギーを挙げている。しかし経済成長のエンジンであるそれらは既得権益にぶらさがる組織団体を守る規制・制度でガンジガラメの分野なのである。規制・制度の緩和や撤廃に失敗すれば日本経済は窒息し、成長は止まってしまう。

 話がそれるが、政府の規制制度改革会議が混合診療の解禁を提言したとき、多くの知識人が民間委員をアメリカの手先とか保険会社の回し者のように非難したが、委員に身近に接した私にいわせると歪んだ見方である。
 かれらは一個人の信念として発言し、行動したと確信をもっていえる。その信念はがんや難病の患者に新しい、良い治療を受けさせたいという純粋な心情に基づいている。

 また混合診療が認められると、新薬の保険収載へのインセンティブが失われるという危惧もいわれるが、新薬のメーカーに確認したところ混合診療は関係ないそうである。新薬は公的に合理的に値付けされ、普及が進むことが望ましく、たとえば混合診療公認のフランスのメーカーもそれは同じとのことである。

 さらに混合診療が認められると、保険収載された医療の保険が取り消されて自由診療になるという危惧もいわれる。これは危惧でなく既定事実である。混合診療が認められていない現在でも厚労省によって進められている。
 一例がリハビリの成果主義、日数制限制導入である。これは保険診療だったリハビリ治療に日数制限を設けてある程度の成果に達しない場合は保険を打ち切るというもので、以降は選定療養という自費診療になるというものである。厚労省によって望んでもいない混合診療が強制され、その結果患者は保険受給権を失う。
 一方、私は混合診療が国の政策に反するという理由で、希望する混合診療を選んだ結果保険受給権を失う。このダブルスタンダードが厚労省の本性である。混合診療が禁止されているから、保険診療は安泰だというのは甘いのである。

 最後に混合診療が認められると、保険財政が悪化するという危惧について述べる。この認識は最高裁判決の根拠の一つになっているが、本当だろうか。結論からいうと混合診療は財源を減らさないのである。
 混合診療が認められていない現在は、保険診療のみで保険給付を受ける。しかし混合診療が認められても、その保険診療に全額自費の保険外診療が加わるだけで給付される保険は全く同じである。混合診療を公認すると財政負担が増えるというのは誤解なのである。このような錯誤を根拠に敗訴の判決を出すことは到底容認できない。

 二人に一人ががんになり、少子高齢化が加速する現在、高度化する医療をすべて保険にしたら財政が持たないことは明白である。現在、支払い能力のある高齢者はもっと医療や健康に自己負担してもいいと考えているはずで、健全な社会を次世代に手渡すことは高齢世代の最大の責務である。

 なお混合診療については、上昌広東大医科学研究所特任教授による委細を尽くした論考がある。http://www.kongoshinryo.net/pdf/ronkou.pdf

*編集部から:その1、その2をご欄になりたい方は、下記をクリックしてください。

その1
その2





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