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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803




週刊がん もっといい日
2012年Vol.290
3月1日更新


Vol.290の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ
●治療最前線
佐賀大学医学部(佐賀県佐賀市)形成外科准教授、附属病院診療教授
上村哲司医師


●クローズ・アップ
『水滴石穿』
ナビタスクリニック立川 医師
財団法人がん研究会がん研究所 嘱託研究員 
谷本 哲也
(2012年2月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp)


●セミナー・イベントのお知らせ

12年2月24日更新内容 全記事はこちら

東大の中川医師の「生きるの教室」のアンケート結果にみる「がん教育の成果」のこと

 本欄で掲載しました中学生2年生を対象とした「生きるの教室/ドクター中川のがんと向き合う」がもたらす学習効果について、詳細なデータが欲しいとのお問い合わせをいただきました。そこで改めて、20011年10月〜12月にかけて4校で行われた授業に参加した生徒たちのアンケート結果から主な内容を以下に紹介します。
(1)がんに対するイメージ
■開講前
「怖い病気」(75.9%)
「早期に発見すれば治る病気」(73.7%)
「手術が必要な病気」(63.1%)
■開講後
「早期に発見すれば治る病気」(95.1%)
「生活習慣が一つの原因として考えられる病気」90.4%)
「予防が出来る病気」(85.8%)
(2)「二人の一人は“がん”になるという事実
■開講前
全体の7割強の生徒が「知らなかった」72.1%
■開講後
ほぼすべての生徒が「がんになる事実を学んだ」(98.2%)
(3)がんを考えることについて
■開講前
全体の5割強の生徒が、「これまで考えてみたことがなかった」(51.9%)
■開講後
ほぼ全体の生徒が、「考えていこうと思う」(95.1%)
(4)がん予防に大切な生活習慣について
■開講前
約4割の生徒は日頃の食生活や生活習慣が、がん予防で大切なことを「知らなかった」(38・7%)/約3割の生徒は、「このことを知っているものの実行できていなかった」(28.8%)
■開講後
ほぼすべての生徒が「がん予防に大切な生活や生活習慣を実行したい」(97.4%)
(5)家族と、がんについて話した経験の有無
全体の6割の生徒が、「家族と話をしたことがなかった」(62.3%)
その理由は、「きっかけがなかったから」「話す必要がないと思ったから」
(5)がんについて家族と話す意向について
全体の8割強の生徒が、「家族と話してみようと思う」84%)
内容の大半は、「がん予防や予防法」「がんの健康診断(がん検診)や早期発見に関すること」
 等々・・・中川医師の講義を受ける前と後では、がんに対する意識が大きく変わり、家族との対話、検診、予防の必要性を認識しました。
「今から予防を少しずつしていきたい」「大切な人が亡くなるということは、どれだけ辛いことなのかが分かった」「今まで治らない病気というイメージがあったが授業を受けてイメージが変わった」「下手に励ましたりするのではなく相手(患者)の気持ちになって接することが大切だと思った」
生徒たちからの率直な意見です。詳細については以下を参照してください。
http://byl.bayer.co.jp/scripts/pages/jp/press_release/
press_detail.php?file_path=2012%2Fnews2012-02-16.html


 さて今週もまた、皆様にとって「もっといい日」でありますように・・・。

『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道





☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.290☆☆☆


治療最前線

佐賀大学医学部(佐賀県佐賀市)形成外科准教授、附属病院診療教授

上村哲司医師

上村哲司診療教授

佐賀大学医学部附属病院
佐賀市鍋島5-1-1
http://www.hospital.med.saga-u.ac.jp/hp/top.php

優れたバランス感覚をいかんなく発揮し
「美しさ」にこだわった乳房再建術を実現


がん治療に「美容」の要素が最も大きく絡み合うのが乳がん治療だ。乳房温存手術が普及したとはいえ、進行状況によっては乳房切除を余儀なくされるケースは残されている。一昔前なら「命を救う」という大義名分の下、女性のシンボルでもある乳房を大きく切除することもやむなしとされていたが、医学の進歩は「命を救ったあと」のクオリティを求める時代に入っているのだ。佐賀大学医学部形成外科の上村哲司准教授は、そうした乳房切除術後の美しいフォローアップで高い実績を持っている。女性患者が満足できる、納得できる乳房再建術をめざして、上村医師の挑戦は続く。

乳腺外科医との連携を密にし
より美しい乳房再建をめざす


 形成外科が乳がん手術に関わるのは乳房を切除した後だが、実際には術前からチームに加わり、徹底した意見交換の上で十分な情報の共有化をもって手術に臨むことになる。昔のように「安全を最優先して大きく切除する」という考えから、「安全性は維持しつつ、術後の整容性も最大限に考慮して切除する」という考え方が一般的となった現在、そこでは形成外科医の意見がきわめて重要な位置付けになってくるからだ。
 「乳房再建術には、乳がん切除手術と一緒に行う“同時手術”と、術後2年ほどのインターバルを取ってから行う“二期手術”があります。どちらにするかは乳がん切除術の内容によって変わってきますが、患者さんは“同時手術”を希望するケースが圧倒的に多い。いずれ再建できるとはいえ、切除された自分の胸を見たり触ったりしたときの落胆が想像できるからでしょうが、それが女性である患者さんの本音でしょう。それだけにこちらも“美しい仕上がり”にはこだわるし、こだわらなければお互いに納得のいく再建手術は不可能です」(上村医師)。
 当然、切除する面積と体積は、小さければ小さいほど再建手術もしやすい。しかし、それを優先してがん組織を取り残したのでは本末転倒になる。その線引きを的確に行うことが、乳がん手術の出来を大きく左右する。「取る」乳腺外科医と、「作る」形成外科医の絶妙なコンビネーションプレーがモノを言うことになる。そして、こうしたチーム医療の質の高さに、上村医師は自信を見せるのだ。


日本における「足救済外科」の第一人者として
乳房再建手術にも「チーム医療」で全力投球


 上村医師には乳房再建術の他にもう一つ、全国的な知名度を持つ技術がある。それは「足救済外科」という、あまり聞きなれない領域だ。上村医師自身に説明してもらおう。
 「糖尿病などが進行して脚の組織に壊疽ができた時、機械的に切断するのではなく、何とか工夫して温存する、しかも単に“形として残す”というのではなく、可能な限り機能を残して温存することを目的にした外科領域です。基礎疾患である糖尿病の主治医である内科医をはじめ、血管外科、循環器内科、さらには看護師や装具士などのスタッフが組織横断的に関わり合うことで実現する医療であり、こうしたところでもチーム医療の重要性は意識させられます」
 足救済外科での実績もさることながら、上村医師にはさらにもう一つの強味がある。大学の医学部を卒業した当初、東京の日赤医療センターでは2年間、一般外科として研修を受けているのだ。消化器はもちろん、呼吸器、循環器、脳に至る全身を対象とした手術を経験し、現在の「作る側」ではなく「取る側」としての研修生活を送っている。その経験が、整容を主とする形成外科において大いに役立っているのだ。乳がん手術における術前の乳腺外科医との打ち合わせや術後のフォローアップなど、「取る側」の考えや視点がわかるだけに共通認識は持ちやすい。そうした“ちょっとしたこと”が仕上がりの美しさに与える影響は、決して小さくはないのだ。

可能な限り「自己組織移植」で安全性を維持――
将来的には再生医療を取り入れた乳房再建も視野に


 乳がん手術後の乳房再建術には、大きく「自己組織移植術」と「インプラント術」の二通りがある。前者はその名からも分かる通り、患者自身の腹部や背中の脂肪と筋肉を胸に移植するもの。そして後者は、シリコンなどでできたインプラントを乳房の内部に埋め込む方法だ。インプラントの場合は実際に埋め込む前にエキスパンダーと呼ばれるバルーンを入れて、表面の皮膚を馴染ませる期間(2カ月ほど)が必要だ。その上で左右対称となるよう慎重にインプラントを選んで装着する。
 「昔の、シリコンをそのまま注入していた頃は、感染や異物に対する免疫反応などによるトラブルが少なくなかったが、現在はそうしたことはほとんどなくなった。とはいえ、できることならインプラントよりも患者自身の組織を使いたい。適合性を考えれば、自分の組織に勝るものはありません。患者さんも多くは自己組織の移植を希望しますし、私も可能な限り自己組織移植術に持ち込みたい」
 しかしこれは決して簡単な手術ではない。単に移し替えればいいというものではなく、移植した組織がきちんと生着するには血流が保たれる必要がある。そのために、必要に応じて血管を再建することもある。直径わずか2−3ミリの血管をつなぎ合わせる手術には、熟練した技術と豊富な知識が不可欠だ。
 加えて形成外科医には、ドナー組織を切除してくる元の部位の機能や外観を最大限保たせる技術も求められる。あらゆる面でのバランス感覚が重要になってくるのだ。
 「近年この分野では、さらに進化した乳房再建術として『ヒト脂肪幹細胞移植術』が話題になっています。脂肪に含まれる幹細胞を使って乳房再建に役立てようというもので、まさに再生医療の領域です。私も最近、米国のサンディエゴで開催された研究会に参加してきましたが、近い将来この技術による、確実で安全性の高い乳房再建術が日本でも普及する可能性は大きいでしょう」
 高度な専門性と技術を生かした乳房再建術を行う上村医師の視線は、さらにその先を見据えている。



クローズ・アップ

『水滴石穿』

ナビタスクリニック立川 医師
財団法人がん研究会がん研究所 嘱託研究員 
谷本 哲也

(2012年2月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp

 私は九州大学医学部を1997年に卒業後、約10年間日本各地の臨床現場で血液内科を中心とした診療に従事し、2007年からの約5年間は(独)医薬品医療機器総合機構(PMDA)で薬事行政に携わった。
2012年からは再び臨床現場中心の生活に戻り、がん研究会での研究やナビタスクリニック立川での診療に加え、福島県での医療支援や日中医療連携等に関わることになった。本稿では私の活動の一端について紹介させて頂く。

【ナビタスクリニック】
「ナビタス」はラテン語由来の言葉で、勤勉さや熱意を意味する。ラグビー部出身の熱血漢である、院長の久住英二先生らしい命名だ。ナビタスクリニック立川は2008年6月に、東京都立川市、JR立川駅構内の商業施設「エキュート立川」の4階に開設された。
久住先生が最もこだわったのは、「会社や学校を休まずに、帰りに気軽に立ち寄れる診療所をつくる」という点で、この立地条件はまさしくそのコンセプトに合致している。小児科、内科を合わせ、1日の外来患者数は200人前後と非常に多忙な診療所だ。
赤ちゃんからご高齢の方まで幅広い年齢層で、患者さんは朝10時から夜9時までひっきりなしに受診される。トラベルクリニックにも力を入れており、様々な感染症予防ワクチンの接種、特に昨今話題の不活化ポリオワクチンも個人輸入により取り入れられている。
地域住民からの高いニーズにできるだけ応えられるよう、積極的な取り組みがなされた結果だろう。久住先生とは10年来のお付き合いがあるご縁で、2011年より私も内科外来の一翼を担わせて頂くようになった。
 地域ニーズに合わせた駅ナカ診療所は、JR東日本からも好評を頂いているようだ。3月29日には神奈川県川崎市に、JR川崎駅直結のショッピングセンター、「アトレ川崎」がオープンする。この8階に「ナビタスクリニック川崎」が第二号診療所として開設されることが決まり、5月の診療開始に向けて準備が着々と進められている。

【ときわ会常磐病院でのホールボディーカウンター立ち上げ】
 2011年3月の東日本大震災後まもなくから、東京と福島を往復しつつ、私もささやかながら継続的な医療支援に参加させて頂いている。そのような中ご縁があり、財団法人ときわ会グループ会長の常磐峻士先生をご紹介頂いた。9月からはときわ会常磐病院で非常勤医師として採用され、いわき市での医療活動にも関わり始めた。
常磐病院では地域住民の要望を受け、昨年末からホールボディーカウンター(WBC)設置計画が持ち上がった。WBCに関しては全く経験がないものの、私も立ち上げ作業に関わっている。
この2月には、若手スタッフを中心に、放射線技師の秋山淳一さん、事務長の神原章僚さん、泌尿器科の新村浩明先生らによるワーキンググループが作られた。どなたも地域のためにと、やる気満々の非常に頼もしい方々だ。
WBC稼働の実現には、実際の個々の病院環境に応じて、設置場所など機器設定上の話から、普段の診療を平行して行う中での、多くの検査希望者への対応方法といった運用上の話まで、様々な課題が生じる。
また、検査結果の説明や、結果に応じた食生活の指導など、検討すべき問題も多い。WBCに関し具体的なノウハウを持つ人物は、そもそも日本にはほとんどいない。幸いなことに、東京大学医科学研究所大学院生で、南相馬市を中心に活動している坪倉正治先生の援助を受ける事が出来、順調に立ち上げ作業が進みつつある。
大学院生といっても、坪倉先生は南相馬市で1万人にも及ぶWBC住民検診を成し遂げ、ごく短期間で日本の第一人者へと成長しようとしている逸材だ。原発事故による地域住民による影響は、データの地道な積み重ねによる科学的判断と、住民一人一人の状況に応じ個別化した対応が重要になってくる。今回のWBC設置がその一助となることを願っている。

【上海との関わり】
 中国上海市出身の同級生の案内で、私が初めて上海の地を踏んだのは、1990年代半ばのことだ。現在国際空港となっている浦東空港はまだ存在せず、上海都心部近郊にある、こじんまりとした虹橋空港へと降り立った。
社会主義市場経済体制のもと、改革開放による爆発的な経済成長が今まさにはじまらんとする時代だった。当時は高層ビルもまばらで、人々の服装も質素で単調な色合いが主体だったように記憶している。
転落防止の自動扉を完備し、2012年には少なくとも11路線、今後も新規路線の開通が次々と予定されている複雑なメトロ網は、もちろんのこと影も形もない。名物の自転車の群れはもちろん、バス、バイクや車も年代物が多く、排気ガス臭の強い空気を吸い込みながら三輪車(自転車タクシー)で街を見て回った。
高齢の人夫が汗いっぱいになり懸命にこぐ自転車に若い私が乗るのは、なんともいえず申し訳ない気がした。日中の物価の差も今より著しく、観光地や公園の入場料は500円程度の外国人料金と数円程度の中国人料金に分かれていた。1950年代の日本はおそらくこんな雰囲気だったのだろうと想像した。
 この初訪問以来、私と上海の関わりは細々ながら、かれこれ20年近くも続いている。福岡から上海は飛行機で1時間半程度であり、距離的には東京に行くのと大差ない。学生当時の私は東京よりも上海に行った回数の方が遥かに多かった。
上海医科大学整形外科教授(当時)の陳統一先生には個人的に大変お世話になり、滞在中には様々な面倒を見て頂いた。陳先生は文化大革命当時、上山下郷運動により四川省の農村への下放経験も持つ苦労人だ。数年前に心筋梗塞でステント術を受けたが、退官後の現在も精力的に手術を行い、あちこち飛び回る多忙な生活を行っているようだ。
また、友人の紹介で劉老人のところを訪問の度に訪れた。劉さんの父親は、20世紀初頭に60万巻を超える宋・明・清時代の書物を収集した、嘉業堂藏書楼の創設者として歴史上に名を残している。
魔都上海のイメージを象徴する建築「大世界」の近く、繁華街の南京路の裏道に入ればすぐ彼の家だった。旧イギリス租界の面影を残す、古ぼけて黒ずんだ英国風集合住宅で、さながら「When We Were Orphans」の世界を思わせた。
当時の彼は猫の額ほどの小さな部屋に家族3人で住んでいた。普段は非常に質素な暮らしをしているにもかかわらず、日本から来た私に20代の若者でも食べきれないほどの上海料理を毎回振る舞ってくれたのも思い出深い。
その彼も数年前に亡くなってしまった。21世紀の上海は世界有数の近代都市へと成長し、街の情景はロンドンや東京とさして変わらないものに変貌しつつある。

【日中医療連携の模索】
 上海市出身で福岡市杉岡記念病院の陳維嘉先生の活躍で、2年ほど前から日中の医療連携に関し、何らかのプロジェクトを立ち上げようという動きが始まった。山形大学や大阪大学、東京大学医科学研究所など日本の大学と、復旦大学や上海交通大学など上海の名門大学との間で、様々な分野にわたって共同研究計画が進み始めている。
立ち上げの段階から私も短い休暇を利用して参加させて頂き、医療連携の道を探る話合いの見学などから関わり始めた。日中では医療をはじめとする社会制度はもちろんこと、国民性や価値観まで全く異なっていることを、私は実感を持って体験している。共同作業は一筋縄ではいかないだろうが、具体的な成果が挙げられることを期待している。
 2012年2月には、山形大学客員教授の須栗眞先生(グローバルCOEプログラム拠点形成事務局長)、同特任准教授の成松宏人先生らとともに上海を訪問する機会を頂いた。ドイツのフライブルク大学での招待講演後すぐの日程で、時差ぼけの身には些か堪えたが、私にとっては30数回目くらいとなる上海再訪となった。
成松先生とともに、私も復旦大学の教員や大学院生の方々を対象に、日本の医療事情について講演をさせて頂いた。多くの受講者の参加があり、中国の若い世代の関心の高さが伺えた。
山形大学医学部と復旦大学公共衛生学院は、ともにゲノムコホート研究に取り組んでいることもあり、2011年には陳先生の仲介により両校で国際交流協定を締結するまでになっている。徐々にではあるが、具体的な研究へと発展させるための道筋がつき始めているようだ。
 これらの日中医療連携が少しずつ形になりつつある背景には、上海在住の梁?戎さんのご尽力も大きい。1989年の六四天安門事件によって、現代日本人には想像し難いほどの強い影響を、その人生に受けた世代だ。
梁さんは上海社会科学院文学研究所出身だが、当初は幼い子供を残して日本語が全くできない状態で大阪へ渡り、その後は国立がんセンターなどでの約20年間の勤務生活を経て、今では流暢な日本語を操る才女だ。医学的専門用語を駆使しながら、通訳やコーディネーターとして大活躍してくれている。
天安門世代が2010年代には日中の架け橋となる貴重な人材に成長しているという、歴史のダイナミズムが感じられるエピソードだ。

【谷口プロジェクト】
 最後に、私も事務局として参加している、原発作業員のための事前の自己末梢血幹細胞採取、谷口プロジェクトについて紹介する。谷口プロジェクト提案後の経過を解説した文章について、英国医学誌ランセットに3回目となる掲載(電子版)が最近決まった。
同誌には世界中から多岐にわたる医療問題について掲載の応募があるため、論文採択率は非常に低い。今回の文章も、短いレターなら掲載可能との指摘を編集部から受け、厳しい語数制限の中、可能な限り短くまとめた要点だけをごく簡単に解説した。
それでも、約200年の歴史を持つこの医学総合誌において、同一テーマが1年未満に繰り返し取り上げられるのは極めて異例の扱いのようだ。それだけ福島原発事故への関心が海外でもいまだ高いということを意味する。
谷口プロジェクトの代表、虎の門病院血液内科部長の谷口修一氏は、この2月に米国サンディエゴで開催された血液骨髄移植タンデム会議でプロジェクトに関する講演を行い、発表後は世界中の移植専門家からスタンディングオベーションで迎えられた。
約200名程度(日本人は約10名)の聴衆から賛否の挙手をとったところ、9割方が賛意を示したという。注目されるのは1割程度の反対者も明確に意志表示をしていたことだ。専門家が責任を持ってしっかり議論する文化の存在が伺える。
2月25日には日本造血細胞移植学会の年次総会で被曝医療に関するシンポジウムが設けられており、国内の議論が進むことが期待される。また、谷口氏は4月にスイスのジュネーブで開催される、欧州血液骨髄移植グループ年次総会での招待講演も決まっている。
福島原発事故への対応も数十年の期間を要する息の長い問題だ。今後も粘り強い取り組みが必要であり、私も事務局の一員として引き続き支援を行っていきたい。





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