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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803




週刊がん もっといい日
2012年Vol.307
8月2日更新



Vol.307の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ
がん患者さん投稿連載
『生と死とのはざまで』
島根がんケアサロン支援塾代表 納賀良一


●セミナー・イベントのお知らせ

『週刊がん もっといい日』のすすめシリーズ
●生きるための緩和ケア最前線
  ◇第1弾:『痛みからの解放』
  ◇第2弾:『“がん治療と積極的疼痛管理”のすすめ』
●ピロリ菌対策シリーズ
  ピロリ菌の早期発見・早期除菌による胃がん予防キャンペーン
●遺伝子療法最前線
  がん遺伝子診断・治療が今なぜ注目されているのか
●未承認抗がん剤問題を追う
  もう治療法がないといわれた再発進行がんの未承認抗がん剤という選択肢
●胃がん闘病中のジャーナリスト・レポート
  がん患者さんのための免疫とがん講座

12年7月26日更新内容 前記事はこちら

がんの予防、治療、再発防止に役立つ
がん情報サイト「週刊がん もっといい日」
毎週木曜日の更新です!

がん情報サイト「週刊がん もっといい日」は、がんの予防、治療、再発防止に役立つ情報を、毎週1回、お届けしております。更新は、毎週金曜日です。

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がんサロン支援塾塾長の納賀良一さんからお便りが届きました

  がんサロン支援塾塾長の納賀良一さんから、お便りが届きました。以下にその内容を紹介します。がんサロン支援塾については、 納賀さんが『週刊がん もっといい日』で連載((2007年5月18日〜6月8日)していただきましたので、ご参照ください。http://www.gekkan-gan.co.jp/index07.05.18.htm#3
                     ◇
『2012年がんサロン支援塾を振り返って』
がんサロン支援塾  塾長 納賀良一

 1泊2日のがんサロン支援塾研修がようやく終わった。お天気は最悪、土砂降りで交通網に災いが出ていて、遅刻者もあった。新幹線と山口線との乗り継ぎが上手く連携出来なかったようだ。
 昨年とほぼ同じ、15都道県から27名の参加があった。北は北海道釧路市から南は福岡まで、広範な地域からの参加であった。医師1名、専門看護師2名、認定看護師2名を含む看護師、MSW、の医療者が大半を占め、がんサロンのリーダーも一部参加していた。

<第1日目>
 私のあいさつ、市長挨拶、岸本副院長の挨拶と続き、夕方まで講演が続く。
(1)岸本弘之益田赤十字病院副院長「療現場はがんサロンとどう取り組んだか」
(2) 納賀良一「がんサロンが取り組んできた軌跡」

<コーヒーブレイク>飲み物、愛子トマトなど人気を呼びそうな品も用意

1)松本祐二(開業医)島根県がん対策推進協議会委員
「議会委員から見たがんサロンとの連携」
2)藤井徹(県がん対策推進室長)「行政とがんサロン」
3)山根行雄(山陰中央新報編集デスク)「メデイアから見たがんサロン」
4)小池由季子(県立大地域連携ステーション)「教育と地域連携ステーション

と、がんサロンと連続的に続いた。盛りだくさんな展開だ。時間厳守を連絡してあったのでスムーズな展開だった。
 発表資料もほとんど出来ていたので理解しやすかったと思う。合い間に 今回初参加の坊さん(前田住職)にお願いしてコメントを頂いた。
 夜は懇親会、神楽見学と続き、新しい出会いの場を創った。神楽を毎年織り込んでいるが好評のようだ。
 イーガの3Fが神楽の会場 近くて最高の場所懇親会の場所がちょっと狭すぎたようだ。反省しきり。
<第2日目>
集合後 すぐに写真撮影を開始。これは化粧崩れを防ぐ狙いがあったから朝1番の撮影とした。
続いて各がんサロンの現状を報告した。松江、邑南、津和野、益田と広島ひまわりの会、三重県がん情報センターも追加した。他県の報告はユニークさがあったし、皆さんに知ってもらいたかったから。
 終了後 問題のワークショップに入った。メンバー分けは6グループに前もって分けていて、医療者、患者を均等に分けて、話が盛り上がるように配慮した。
 その成果が出たのか、のちのアンケートにも、「好評」との評価を頂いたようだ。さらに県下のサロンメンバーや行政マン、医療者、スタッフやボランテイア学生にも別れてグループに参加してもらった。他職種なメンバーが大集合して、話題は盛り上がった。

<全体を通して>
 がんサロンの歌に始まり、がんサロンの歌で閉めた。誰かが言っていた。CDが欲しいと。でも出来て無いんだ。残念。それ程 歌詞とリズムに感じ入ったのでしょうか?
 コーヒーブレイク用に用意したミニトマト(愛子トマト)。愛子さんから命名したトマトらしい。小さいが凄く甘い。お土産に欲しいと言われ、追加注文したらしい。 100パックほど? あっという間に売り切れ無くなった。凄い売れ行きだった。
 集合写真用封筒も用意して、表にささやかな文章を入れた。 「新しい出会いは 人と人とを化学反応をさせる」ものだと。
 昨年よりはきめ細かな対応をしたつもりだ。どのように評価されたのかは分からないが、誰かがブログ、メールなどで何かを言ってくるだろう。それまで待ってみよう。
 アンケートのコメントで多かったのは 「理想のがんサロンとは」で展開し
たワークショップは好評との評価だった。他職種な方々が入った成果だったの
かもしれない。
 今回も石見高等看護学校の2年生6名の応援を得た。後日 2日間の感想文
を先生から出すようにと言われているらしい。これは楽しみなことだ。
 参加者へのお土産に 患者仲間で2013年カレンダーを創った。カレンダー
の中の毎月毎の言葉は各自が考えて提出したものから抜粋した。季節感が出て
いてまずまずの出来と思う。総合力を発揮した成果のなせる技だろう。

 今後は、「がんサロン出前塾」が出てくるだろう。すでに福島県から問い合わせが来ている。どんな展開になるかはわからないが 1日(7H)程度で終わるような企画にしたいが相手があることだから 交渉次第。
今回参加した中から、Q&Aで問い合わせもあったから期待しよう。Q&Aとグループ評価については別途報告する。
                        ◇
 納賀さんは、当サイトで、がん患者さん投稿連載『生と死とのはざまで』のテーマで執筆されていますので参照くください。
 さて今週もまた、みなさまにとって「もっといい日」でありますように・・・。
 
 
『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道

「生存率20%以下のがんから奇跡の生還」を果たした
ランス・アームストロングさん(自転車レースの最高峰、
ツールド・フランスで前人未到の7連覇)から、
がんと闘う皆さまへのメッセージです

↑クリックしますと全文掲載されます。

世界各国の乳がんを患った女性たちに向けた
テニスプレーヤーのアンドレ・アガシ選手の母親、
ベティ・アガシさんのメッセージ

↑クリックしますと全文掲載されます。

3年前に腎臓がんを克服したプロレスラーの
小橋建太選手からのメッセージ

↑クリックしますと全文掲載されます。

「いつの日か、あなたが孤独で行き先を見失った時には
春の穏やかな暖かい日向の風となって・・・
さわやかな幸せの風を送ります」
最後の力を振り絞って書かれた一通の
あるがん患者さんの手紙「お別れのことば」

↑クリックしますと全文掲載されます。

「もっといい日」図書室からのお願い!
がんの治療法(手術療法、化学療法、放射線療法、免疫療法、補完・代替療法など),食事療法、闘病記等々、がんに関する推せん書籍を、ご紹介ください。

皆さまが、最近読まれた書籍で、患者さんや家族の方々に、ぜひ読んでいただきたい書籍を、「もっといい日」図書室まで、下記の要領でお知らせください。

<お知らせいただく項目>

(1) 書籍名(2)著者と筆者の所属先及び連絡先(住所、電話番号)(3)発行出版社(住所、電話番号、メールがあればアドレス)(4)価格(5)簡単な紹介文(400字以内)(6)あなたさまの氏名、住所、連絡先(仮名も可)

送付先E-mail:yamamoto-iihi@gekkan-gan.co.jp


がん関連書籍を紹介した『もっといい日 図書室』をご利用ください

がんに関する書籍が、相次いで出版社から刊行されていますが、「うっかりして買い忘れた」「知人から聞いた」「確か新聞や雑誌で紹介されていた」等々、入手できなかったというケースは少なくありません。
 そこで『週刊がん もっといい日』編集部では、がん関連書籍の発行先、著者の連絡先がわかる、『もっといい日 図書室』を開設いたしました。
 リストには、書籍名、発行元(出版社名・連絡先)、著者(著者の専門部位・所属先・連絡先)を掲載しておりますが、ただし著者の所属先及び連絡先が変更になる場合もありますので、ご了承ください。今後、がん関連の書籍リストは、随時、追加していきます。
『もっといい日 図書室』の閲覧は、トップページ上部の「もっといい日 図書室」をクリックしてください。




☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.307☆☆☆


がん患者さん投稿連載

『生と死とのはざまで』
島根がんケアサロン支援塾代表 納賀良一



第1章 妻の発病から手術、初の抗がん剤投与まで

「ゴホン,ゴホン」時々 気になる咳をする時がある。これが がんとの出会いだった。
 1週間先に地域で肺の定期検診がある。そこで「受けてみよう。わざわざ日赤病院へゆく必要もないだろう」軽く考えていたきらいがあった。2005年7月のことだった。
ちょうど1年前、2004年7月、私自身が大手術をしたのを思い出した。益田赤十字病院と大阪成人病センターで続けて2度も。左腎臓と膀胱の摘出手術だった。死ぬような闘病生活を送ったことを思い出した。いやな予感がした。妻は小、中学校時代、健康優良児で何度も表彰を受けたことがある。
 まさか。そんな思いだった。定期検診の結果は要注意。精密検査が必要とのこと。すぐに益田赤十字病院へ行き受診した。結果は右肺に、3センチ大の腫瘍が見つかった。「肺腺がん」との診断だった。早期発見なので手術は十分可能とのこと。本人と相談の上、手術に踏み切った。18日間の入院経過は良好であった。
 退院時、念のためUFTという経口抗がん剤の服用を勧められた。あまり気のりはしなかったが毎日1錠、何カ月続けたらいいのだろう。結果的には、1年位は服用しただろうか。術後は 私とは 感じが違う経過観察だった。
 これからどうしようか? 思案をした日々が続いた。ふと、読売新聞に目がとまった。
 薬物療法専門医の誕生が伝えられていた。がんに関する初の専門医だ。47名。調べてみた。近くにその先生がいるかどうか。広島日赤原爆病院に2名確認出来た。
早速、連絡してみた。D先生へ。女医だった。呼吸器内科が専門分野だった。アポイントを取り、指定の日に車で広島に向かった。今後の治療方針についての相談だった。これがセカンド・オピニオンだ。
 勿論、地元の主治医には了解をとっている。セカンド・オピニオンをするには 情報提供書、レントゲンのコピーなど沢山のデーターが必要となる。 それを、主治医から頂からねばセカンド・オピニオンは出来ない。沢山の資料を用意して頂いた。それを持参してD医師に面会した。
 D先生の対応は最高だった。遠方から来た私たちを厚く迎えて頂いた。はじめてお目にかかった先生とは思われないもてなしを受けた。早速問診して すぐに「PETをかけてみませんか?」と言われた。これには驚いた。普通は予約をして相当待たされるのに 今からすぐにとおっしゃった。お願いすると近くの中電病院を紹介して頂いた。その場で電話をしてのことだった。こんなに簡単にPETをかけられるとは思わなかった。有難かった。
 さらに、仰るには「その結果を持って明日来てくれませんか」と。遠方から来た私たちに対しての配慮だった。
 広島に1泊して、翌日、D先生を訪問した。D先生の言われるのには、「肺腺がん」は術後の養生が難しいらしい。抗がん剤を使い、継続して治療が必要な患者が多い事を聞かされた。妻もそうらしい。
 さあ、これから抗がん剤との付き合いが始まるのだろうか。受けて立つしかない。私の場合、抗がん剤治療はしたが、それは簡単なものだった。部位により、これだけ対応が違うのだろうか。
 益田日赤では単剤の抗がん剤治療を勧められていた。しかし、D先生の診断は2種混合の治療方針だった。「パラプラチン」+「タキソテール」の2種類の抗がん剤を同時に投与するものだった。
 どちらの治療方針を選ぶか。これは考えるまでもなかった。広島に来た意味はここにあると思った。だったら、患者の私がこの治療を益田に持ち込もう。可能だろうか.これは疑問だった。

1) 患者の意識を変えること
・正しい情報を選べる患者力をつけよ
・多様化を認識せよ----価値観の違いを学べ
・真剣勝負をせよ
・病気に正面から向き合うこと
・医師任せばかりではダメ
・病気を追っかけるにはスピードがいる
・遠い病院にかかれば 良い病院であっても 行動サイクルが遅くなる
・これが如いては 手当てを遅らせる事にもなるので要注意

■このような事例があった
 山口県の総合病院へ通院していた患者がいた。ある日、精密検査があった。 普通、近くの病院ならば2〜3日後には、検査結果は患者の手に入る。しかし150キロ以上離れた総合病院には そんなに度々は行かれない。つい、結果を聞くのを遅らしてしまう。
 このような状況が度々あると、がんの進行は早いので手遅れになってしまうことが多い  (サロンである患者さんの行動を聞いて感じたこと)。
・自分から進んで医療情報を求めること。待っていても 思うような情報は入ってこないものだ。
・患者が医師を思うほど 医師は患者のことを思ってくれていない
・早期発見、早期治療を第1とすること
・病状には必ず自覚症状がある。それを見過ごすか否かで一生は決まる
・昨日の貴方と今日の貴方が違うように健康も貴方と共に姿を変える

 患者は一人ひとり考え方が違う。ということは、求める治療も違って当然である。全て医師の言うとおりにする必要はない。人それぞれ生き方がある。 だから、それに準じた治療の仕方があるはずだ。

■いろいろと考えられる力を持った患者になろう

2) 患者力を磨け
 患者サロンに積極的に参加して欲しい。そこから新しい発見が生まれる。患者サロンは生き方、死に方を学ぶ場でもある。 サロンには患者だけでなく、医師、看護師、薬剤師、MSW、栄養士等いろいろな方々が参加してくれている。診察時ではない感覚と気持ちで話が出来ている。自分自身の考え方のみならず いろいろな切り口での質問ができ、たいへん 学ぶところが多い。
・情報は氾濫している。そこから必要情報を選び出せる力は如何に? 
・勉強会には積極的に参加すること。
・いろいろな講演会、研修会にも参加せよ。
・他の患者会と接触する事がよい。外から自分が見えてくる。
・すこぶる健康な人と絶えず病院にお世話になっている人を比べてみると精神的には病院にお世話になっている人のほうが精神的には強い。
・健康な人ほど病気に罹ったときの落ち込みはひどい。
・現役意識を忘れずに----今を生きること。
・脈を測る。心臓の鼓動を知る。AEDを知る。---健康を感じるバロメータ    
・1瞬が連なって 1日となり 一ヶ月となり 1年となり 1生となる
・寿命から逆算して減ってゆく人生の残り時間と考えるより 新たな1日を貰った感謝の気持を大切に。
・死は人生の最大のクライマックスなり。
・死から 今を見て 人生の工程表を造るべき。
・数値目標と期限がはっきりと表明出来るようになる。(私が死を体感して 子どもたちの授業に関わって感じた)

■各自、コミュニケーション力を磨いておこう。患者サロンは、それを磨く道場なり
 益田日赤の呼吸器外科M先生。いまは近くで開業をしていらっしゃいます。広島のD先生の2種混合治療をお願いした。M先生の驚いた顔は今でも思い出す。それはそうだろう。患者の私が治療方針を決めようとしているのだから。しばらく考えた上、了解して頂いた。これには、いまでも感謝している。病状確認のため、8日間の入院をした。
 経過は良好。マーカー(CEA)も減少してきた。治療開始と同時に副作用のチェックシートを作成された。それは当然だろう。新しい抗がん剤治療を開始するのだから。
でも、その挑戦意欲は十分感じられた。患者にとっては有難いこと。そのチェックシートは今でも外科で活用されている。

3)副作用から学ぶ
 がん患者のほとんどは抗がん剤を体験する。しかし副作用については、どなたも受け身の対応だ。患者に限った事ではなく、医師自身はもっと他人事のようだ。患者にとっては副作用で死ぬか、がんで死ぬか選択させられているようだ。
 抗がん剤には錠剤と注射があるが、効き目は注射の方が早い。それはそうだ。血管に直接入れるのと飲むのではおのずと差はある。私たちの体験談を話そう。私は膀胱がんだが、抗がん剤は膀胱内に注入したBCG以外は体験していない。BCGはさほど副作用もなく 安心していることができた。しかし、週1の注入で6週継続した。効果は解らなかったが、いま現在、ここに生きているのは効いたのかも知れない。
 どの抗がん剤も決して安くはない。これが患者にとっては泣き所なのだ。ある雑誌に書
いてあった。治療費について67%、治療自体33%。これは、患者が直面する心配の度合
いです。
 妻の場合は、ややこしい。最初は、抗がん剤はUFT、OP後、念のために飲み出した。しかし、それからは大変なことになってきた。何種類の抗がん剤に出会っただろうか。抗がん剤をやり出してからは常に腫瘍マーカー(CEA)の数値との対比となる。数値の多い、少ないで一喜一憂する。
 2種混合、経口剤のイレッサなど、現在までに6種類の抗がん剤と出会った。抗がん剤の恐ろしさを体験することになった。抗がん剤は効き目は相当に個人差が出る。すぐに副作用の出る人、なかなか出ない人、これが難しい。最近は、最初は入院で経過観察して、良ければ次回から外来での治療になる患者が多い。
 抗がん剤は恐ろしい。副作用も多岐にわたる。嘔吐から始まり、不快感、神経障害、皮膚障害、味覚障害、嗅覚障害、爪の割れ、頭髪が抜ける、ありとあらゆる障害が襲ってくる。患者も医師ももっと副作用について学ぶ必要を感じる。
 辛くても我慢するそんな時代は過ぎた。抗がん剤は正常な細胞も死滅させるので、抵抗力をなくしてしまう患者が多い。白血球の減少です。あっという間に3000を切ってしまうことがある。子供とおなじ。無抵抗な患者が出来てしまう。そのため、抗がん剤治療もしばしば中断することが多い。いのちを落とす時もあるようだ。危険とは隣り合わせのことが多くなる。真剣に対応しよう。医師にばかり任せないで患者自身が学び、賢い患者になろう。

4)術後の外来診察での対応
・検査結果表は必ずコピーしてもらい受け取ること
例:CT、MRIの画像/マーカーの結果表・・・その他検査結果表を必ず受けとること。将来 
医療事故があったときの資料にもなる。CT、MRIを受ける際、いつもフイルムの倍率を同じにして取ってもらう事、なぜなら、がんの大きさを比べるとき、倍率が違うと比較が難しい
・この間、あった自分の事例から
 CT(腹部、胸部)を受けた後の結果を聞いたとき、医師は異常はありませんといった。
しかし私はそのとき、検査結果をコピーして欲しいと依頼したところ、医事課で処理して
欲しいと言われた。
 医事課で話した結果、2625円の金額が要ることが分かった。その上、情報提供承諾書
も要る。なんてこった。自分の資料を貰うのにおかしい。自分の資料として保管するだけ
なのに。
 簡単にくれる医師とそうでない医師、先生によりバラツキがある。これはおかしい。保険金請求等、他の目的に使うのなら、こんな手続きと金額でも承知するのだが。おかしなことがまかり通っている今日、誰も文句を言わないのはおかしい。

<泌尿器科編>
 私は腎臓がん、膀胱がん患者本人で、それぞれの臓器を摘出した。毎回、尿検査がある。尿の汚れから病状が読めるらしい。私は毎回、「非常にきれいですね」といわれる。
振り返って、家での生活パターンを見るとこんな事がある。毎日 2リットルのやかんのお茶が無くなる。ほとんど私が飲んでいる。腎臓の循環が
よくなっているのかな。やかんは、いつも居間のテーブルの上の私の近くにある。すぐに手に取れる。だから、あっという間に空になる。自分でも驚くときがある。でも これが現実である。
 以前 泌尿器科の治療室でナースと勉強会をしたことがある。私が講師です。[2007年当時]ストーマの状態、ストーマの種類、ストーマの交換タイミング、皮膚のただれについて等。具体的な話をした。症例数の少なさがナースの説明の未熟さに繋がっている。ならば研修に行くか、時にはWOCを持ったナースのところに。または、指導に来てもらようなシステムを作るべきではないか。
 いつまでたってもこんな状態では困る。私は自分の情報はメーカーのコンバテック社から入手している。メーカーには 医師もいるし、WOCライセンスを持ったナースも居る。
話は早い。 
 器具選びはメーカーがしっかりしたところを選ぶべきだ。多少高くても。そのほうが患
者にとっては得策である。
                           
(私の体験から)
「がん」という病気は、なかなか「完治」という言葉を使わせてくれない。厄介な病気だ。

5)地域格差   
<手術格差> 
・医師が自分の専門分野の手術をしているか
・同じ手術でも傷口の大きさに差が有る。大きく切るのと小さく切るのと
例:腎臓摘出の場合 1箇所13センチと2箇所45センチの差
・手術の終了予定時間を聞いているか 
・お互いが傷口を見せ合う 
・待っている家族に対して手術中の経過についてフォローは何かあるか
・都会で最先端手術をするときには次のことに注意する事

(私の事例より)
・最先端手術が全てではない。それは自分が何処に住んでいるかがキーとなる。即ち術後のアフターフォローを誰がするかである。最先端手術であれば 地方では症例がない。または少ない。急変した場合、一体誰がフォローするのだろうか。危険度は大である。よく考えて判断すべき。
                             
<化学療法格差>
抗がん剤の治療にも違いがある―――単剤治療と複剤治療
 薬物療法専門医が 現在 全国で300名位います。専門医が抗がん剤を調剤しているかどうかを見極められるか。これらの格差を無くすには患者同士の情報交換が必要である。都会の高度な治療を患者が医師に遠慮せずに自地域へ持ち込むことが出来る患者でありたい。先生に対して遠慮は無用。患者は命を賭けているのだから。
<患者の意識格差>
・都会の患者は病院を選べる。地方の患者は病院を選びたくても選べない。よって患者には、それぞれ地域にあった治療があるのではないか都会のがん専門病院には沢山の患者が集まってくる。その患者は、自分の病歴を良く知った患者さんだ。
 なぜなら、その病院を選べる力があるからだ。そこに病院があるからその病院に懸かる患者とはちょっと違う。都会の患者と田舎の患者とがデイスカッションをしてみたらどうだろう。きっと 面白い結果がでると思う。
 その結果をふまえて医療対策を打つべきだ。それが本筋ではないだろうか。都会の患者が望む医療と田舎の患者が望む医療には格差があってもいいと思う。(つづく)

クローズ・アップ
『福島での暮らし』
南相馬市立総合病院・神経内科 小鷹 昌明
(2012年7月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会発行 http://medg.jp

「行く春」の中、街の様子や私の暮らしぶりについて、一度ご紹介しておくことにする。ただ、これから話すことは、原発被災地に関心のあるものか、私個人に興味を抱くもの以外には退屈な話になってしまうので、MRIC読者の、おそらくはひじょうにお忙しい方にとっては、時間の無駄になる。特に後者に該当しない方は、私の“NKK(長い・暗い・くどい)な話”に付き合わせてしまっては申し訳ないので、早めに退散されたし。

 それでは、少数でも残っている読者のために伝えたいことがある。現在における私の最大の関心事と言えば(言うまでもないことだが)「この南相馬市で暮らすこと」である。しかも、ただ暮らすだけではなく、仲間を作りながら、医療を支えながら、心象描写を繰り返しながら生活することである。
 要は、「志を同じくする人たちと出会い、共通する目標を掲げて楽しく働き、エッセイなどというものを綴ることで日々振り返りながら過ごす」ということであり、はっきり言って、生活すること自体が趣味になっている。英国留学以来、「新規の生活を立ち上げるという、久しぶりの快楽に浸っている」と言い換えてもいいかもしれない。

 さて、私の中には、時間停止した事項がたくさんある(だから、この街にもすぐ慣れたのかもしれない)。携帯電話は、電話がかけられて、ショート・メール程度の文字が打てれば十分だし。パソコンは中期あたりのVAIOで、インターネットが閲覧できて、通販によるお買い物やホテルの予約が取れればそれでいい(むしろ、携帯電話やモバイル通信などは、どのような設定条件にすればもっとも便利で得なのか、ずっとわからないでいる)。
 もっと言うなら、オーディオはBOSEBOSEのWAVE MUSIC SYSTEMだし、リスニングは邦楽ならストリート・スライダース、洋楽ならハノイ・ロックスである。アイドルは篠原涼子で、ジャニーズは、せいぜいキムタクまでである。アニメは銀河鉄道999、ジブリ映画は「千と千尋の神隠し」で止まっている。
 野球は桑田・清原・イチローだし、サッカーの話題には、まったく付いて行けない。車はJEEPで、時計はカルティエのタンク、万年筆はモンブランである。
この市立病院に勤務してから、カルテはオーダリングシステムから紙媒体に戻ったが、個人的にはまったく不自由していない。むしろ、再度万年筆が多用できて嬉しく思っている。ジャンルや物品によって、時期はまちまちだが、とにかくそういう感覚である。ついでに言うなら、どういうわけか、私はここに来る前に、軟式グローブとボールを買い、木製知恵の板タングラム(温泉とかにある木のパズル)を譲り受けたのである。きっとそれは“物の少なかった時代に返る”感覚だったのかもしれない。

 私は、新しい住居を構えることにほとんど抵抗はなく、遊牧民的な資質があるが、そうは言っても、さすがにここに来た当初は懐郷な想いに駆られていた。海辺に住むということ自体が初めてであったし、最寄りの高速道路の出口から1時間30分を要するアクセスの悪さにも閉口した。
 ましてや放射線の降り注いだ地である。2キロメートル東に行けば、そこは津波によって壊滅した荒涼とした大地が広がり、南に3キロ行けば、除線はおろか瓦礫の撤去も進まないゴーストタウンが存在している。西には連綿と続く阿武隈山が迫り、北には相馬市があるが、似たような状況である。

 市内に目を転ずれば、これがもう、実に閑散としている。目抜き通りは、いわゆる“シャッター通り”で、郊外のいくつかのスーパーマーケットが(特に生鮮食品などは)、品薄なまま存在している。デパートなし、シネマ・シアターなし、スタジアムなし、在来線なし、ジャズ喫茶なし、エクササイズ・ジムなし、フレンチやイタリアン・レストランなし、オペラやオーケストラなし、美術・博物館なし。およそ娯楽的・文化的な生活とは程遠い状況である。
 警戒区域だった土地は、時間が止まったままである。傾いた電柱、乗り上げられた車、崩れたままの家屋が残され、雑草だけが伸び、太陽だけが暑く、心なしかそよ風すらも停滞しているような、そして、何よりも人の誰もいないエリアが広がっている。
どう考えても生活するには不利な、暮らすには不向きな土地で、かろうじて“シティ”としての呈をなしている原発から一番近いこの街で、私は寝食している。

 一体なぜか?格好いい言葉で言うなら、「そこが“創造のフロンティア”」だからである。自分で考え、自身で探り、己で見出すことができる場所だからである。もちろん、さまざまな弊害はあるし、資源も限られている。
 ただ、その中から手仕事、体当たり、向こう見ずといった作業を繰り返すことで、ひとつずつブロックを積み上げるかのように、社会を構成させていく醍醐味がある。
すでに完成されたエレガントでハイソな新興住宅地に住むのもいいが、あえて、20時までしか開いていないスーパーに駆け込んだり、リサイクルショップで使えそうな物資を掘り出したり、丁寧に仕上げてくれるクリーニング店を探し当てたり、ヘアー・サロンを1軒1軒試したり、コミュニティのためのプロジェクトを立ち上げたり、既にある復興計画にコミットしたり、こんな被災地だからこそ、糊の利いた長袖のYシャツに腕を通し、ネクタイを締め、磨かれた靴を履き、日々お洒落をしながら過ごすのも悪くない。

 五感を研ぎ澄ませ、身体感度を上げ、アンテナを張り、贅肉を削ぎ、骨肉を鍛え、そして、心を洗練させれば、この地ではいろいろなものが見えてくる。それは、新認識・新知見のための試行錯誤であり、持って回った言葉で言うなら、「そこが“センシティビティにとっての宝庫”」だからである。“Crash and Build”の“Crash”の手間が省けたと前向きに捉えて、“Build”していく歓びがある。

 私は神経内科医なので、四肢が麻痺したり、言葉を発し難くなったり、記憶が薄れていったりするような患者を多く診ている。そういう患者は、自分の置かれている立場や因果を模索しながら生きている。
 不安で困難な環境に適応するために、解決法をその都度探り、調整しながら生活している。「ヘルパーさんとの上手い付き合い方、コミュニケーションの取り方、パソコンなどの電子機器の使い方、家族との関係の持ち方」などを工夫し、彼らは自分の不足な点、不自由な点、不条理な点を補っていく術を身につけていく。そのあまりにも、そして、健気な人間的営みを想像し、街の復興に役立てることである。

 この一帯は、間違いなく加速度的に高齢化が進んでいく。農業・漁業・林業などの1次産業にとって壊滅的な打撃を受けたこの地の生き残りは、お年寄りや障害者にとっての優しい街を創造していくことである。
「南相馬市に行けば充実した介護が受けられる」という街であり、そこにお金が集まるシステムを造ることである。簡単に言えば、福祉施設を増やすことであり、さらに言うなら、それを支えるマンパワーを育成していくことである。つまり、“福祉のための地産地消計画”であり、産業や雇用は、人の優しさを通じて増やすことである。ソーラー・パネルによる電力事業や廃炉に向けた原子力事業が必要なのはわかるが、それだけでは街の本当の意味での、根幹の部分での再生はない。

 現在私は、保健センターや保健所、訪問看護ステーション、介護事業所などを訪問し、介護士・ケアマネ量産のためのプロジェクトを画策している。
思えばこれまで私は、良い人生だったではないか。大した苦労もなく医師になり、とりあえず健康なままバリバリ働くことができたし、結構遊んだりもした。お金はほとんど貯まっていないが、飲み食いには不自由しないでいる。
 だが私が40年以上をかけて繰り返してきたことは、結局は自分自身のための消費であった。だから、ここへきて冷静に思っていることは、「かつて、私が出会い別れていった多くの人や物に対して、少し恩返しをしてあげたくなった」ということなのかもしれない。その結果が、この街の支援なのかもしれない。

 確かにこの街は、未来永劫、放射線とは切っても切れない関係を続けていかなければならない。今さら言うまでもないことだが、原子力の弱いところは、ひとたび何かが起これば、長く不毛な処理を続けていくことになる。放射性廃棄物を管理していくには、原子力という技術を捨てるわけにはいかない。
 廃炉に向けたビジネスが、社会的に低く見積もられ、誰からも顧みられない地味な作業の繰り返しだとしたら、一体誰がその仕事を担うのであろうか。社会的に批判され続けられるのならば、誰がその業界を維持したいと思うのだろうか。
 私たちは、何か思い違いをしていた。森や川や海といった自然は、地球を浄化し続けてくれるものだと思っていた。だが、ひとたび汚染された場合には、そうした自然がもっとも除線できない場所だった。
 もう既に使い古された言葉であるし、“想定外”とは言いたくないが、想定外を口にする人たちを頼らざるを得なかったことが、最大の想定外だった。

 勘違いされないよう強調しておくが、私は何も「震災によって福島が劣化してきている」と言いたいのではない。社会は悪くもなく、良くもなく、ただ混乱の様相を日々強めているだけである。震災によってそれが、より顕在化しただけである。それならば、「それらを一旦整理したらどうですか」と言いたいのである。
 勝手な言い方をすれば、福島に限らず社会というものは、そもそも劣悪である。しかし、どれほど劣悪であれ、私たちはその中で生き延びていかなくてはならず、その中で社会を再生・構築していくしかない。できることなら誠実に、前向きに、着実に。重要な真実や意義は、むしろそこにある。
 さらに言うなら、震災後の周りでの混沌は、外界のアンチテーゼとして排斥することではなく、むしろ私たち人間の内なる混沌の反映として捉えていくべきものではないかと、私は考えている。
 震災というものと、人間が日頃内部に溜め込んでいる矛盾や葛藤や偽善や低俗といった混沌とは、表現型が異なるだけで最終的に同じではないか。被災者の誰かが言っていた。「この震災は、世の中の混乱の代弁だ」と。そう考えていくと、私の気持ちは幾分整理される。
 だから些細なことかもしれないが、私の当初抱いていた不安や寂しさは、自宅裏の、今ではすっかりジョギングコースとして定着している新田川の流れと、花びらの舞い散る桜並木とで癒やされた。混沌の中での秩序というか、静謐というか、変わらぬものに、これからの希望を見出すことができた。

 最後に、この地での執筆活動についての構想を述べる。私のことだから、春夏秋冬を経験した時点で、それらをエッセイとしてまとめるつもりである(と言っても、このMRIC原稿を加筆訂正するだけだろうが)。
 確かに私の文章力は、“医学論文”を書くことで培われたが、医学論文より一般書をたくさん読むようになり、非常識な角度で常識を語り、規格外の見方で規格を述べるようになった時点で、医師としての学術的向上は止まった。
書いた文章に私の個人的感情が迷入した時点で、論述的な医学論文も書けなくなった。普遍性の中に個性を見出そうとして、視野を広く持てるよう物事を観察したが、実際の判断に耐え、語れる文章というものは、そうした中にごくわずかしかないということに気が付いた。そして、そのためには、「言葉にならないことでも、言語に落とし込む必要がある」ということを認識したとき、私は、決定的に科学的思考から遠ざかった。
 そして、今、文章を書いていると、突然ドライブがかかる瞬間があるということを感じている。急にギアがシフトダウンし、エンジンの駆動音が聞こえてくることがある。そういう文章を気兼ねなく書けるのも、このエッセイという形式だからであろう。そんなことも、この地での愉しみのひとつになっている。

 人々は、皆、水面下で悪戦苦闘している。復興で活躍している人たちにしかスポットを当てない情報だけではダメである。サッカー選手のような面識のない日本人を応援するよりも(それが悪いとは言わないが)、隣にいる身近で奮闘している人を応援する方が、余程健全のような気がする。
 相変わらず、まとまりのない文章になってしまったかもしれない。しかし、何もないところで人はどのように過ごせばいいのかのヒントを与えたかった。創造していくことの愉しみを伝えたかった。
 それは、もう少し哲学的に言うならば、「“生活”を深く味わうことができれば、“人生”をも堪能できる」ということである。今も、そしてこれからも福島での“暮らし”についての極意を伝えていく。

「官邸かわら版」
●総理の語録:世界の誰かと繋がっている(7/31掲載)
多くの日本人にとって、「復興」という言葉には特別な思い入れがあります。
※記事全文はhttp://kawaraban.kantei.go.jp/2012/07/31goroku.html




今週のニュース

「会則目標を達成し社会的な貢献ができた」
患者の会「どんぐりの会」、25年間の活動に終止符

 患者の会「どんぐりの会」(椚 計子会長)が、25年間の活動に終止符を打つことになりました。設立当初から、がん対策基本法の制定、情報の入手を目標に活動してきましたが、会則に掲げた目標を達成し社会的な貢献ができたことのくわえて、会員の高齢化、会員の減少などからどんぐりの会を閉会することになったものです。
 これまで会報の発行や講演会の開催など多彩な事業に取り組んできましたが、今後は年4回のお茶会を年4回(1月・4月・7月・10月の第3日曜13時~16時)開催するそうです。

ファイザー社、腎細胞がん治療薬「インラウタ錠1mg/5mg」の
製造販売承認を取得


 ファイザー社(本社・東京都渋谷区)は、先ごろ根治切除不能または転移性の腎細胞がんの効能・効果で、抗悪性腫瘍剤/キナーゼ阻害剤「インライタ錠1mg/5mgの製造販売承認を取得したことを明らかにしました。
「インライタ」は、従来のチロシンキナーゼ阻害剤(TKI)に比べてターゲット部位への選択制をより高めた次世代の経口チロシンキナーゼ阻害剤。腎細胞がんに対する第3相比試験で本邦でも汎用されている同阻害剤を対象として初めて主要評価項目で有意な有効性が検証された薬剤です。
 2012年1月に米国、4月にはスイスで承認されており、日本では2011年7月に製造販売承認を行い2012年6月、世界で三番目の承認国となりました。


Online Medニュース

http://www.geocities.jp/onlinemedsante/

<7月25日>
アステラス製薬、前立腺がん治療の経口アンドロゲン受容体シグナル伝達阻害剤エンザルタミド承認申請を米DAが受領、優先審査

米メディベーション社と共同で開発を進めているエンザルタミド(MDV3100)について米FDAから販売許可申請を受領し内容の審査を開始する旨の通知、FDAは優先審査を認めた、申請日から6か月以内の審査完了が目標となる、メディベーション社は「ドセタキセルによる化学療法施行歴を有する去勢抵抗性前立腺がん」の効能・効果で2012年5月21日に販売許可申請を提出、日本ではフェーズ3。
ノバルティス、アフィニトールを進行性乳がん治療薬としてFDAが承認
 
 米FDAが「エキセメスタンとの併用で、レトロゾールまたはアナストロゾールによる前治療が奏効しなくなった閉経後ホルモン受容体陽性/HER2陰性進行性乳がん(HR陽性進行性乳がん)の治療薬」としてアフィニトール(一般名:エベロリムス)を承認
http://www.novartis.co.jp/news/2012/pr20120725.html

メルクセローノ、頭頸部がん治療薬として「アービタックス」を厚生労働省が優先審査品目に指定

 頭頸部がんを新たな効能・効果として申請した「アービタックス 注射液100mg」(一般名:セツキシマブ/遺伝子組換え)が6月26日付で優先審査品目に指定。
http://www.merckserono.co.jp/cmg.merckserono_jp/ja/images/20120725_release_tcm114_97565.pdf

ラクオリア創薬、EP4拮抗薬が日本で特許査定

 EP4拮抗薬の物質特許の一つ(出願番号2006-65731)が日本で特許査定を受けて知的財産権が強化、慢性炎症性疼痛・急性痛・がん・自己免疫疾患に有効性が期待される。
http://www.raqualia.co.jp/rq-cms/wp-content/uploads/f829e245bcdad619860098587c699856.pdf


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